『夕凪の街 桜の国』
こうの史代
双葉社
\800+
2004.10.
2016年から2017年にかけて、映画界で大きな話題を提供した感動作『この世界の片隅に』の原作者は、こうの史代さんである。実はこの人の作品としては、先にこの『夕凪の街 桜の国』で印象的に私の心に刻みこまれていた。広島の原爆を扱った点でも、かの映画と同じだが、こちらはずいぶんと哀しい。映画も哀しいかもしれないが、もっと切ない。結末は伏せてあるが、その先は、最後の頁の次に読者が考えたその通りでよいのです、むしろそこを各自がラストシーンを考えて決めてください、と作者は謙虚に巻末に記していた。そうさせて戴こう。
物語をここで紹介するつもりはない。ただ、映画と同様、マンガとしても、コマの間の取り方が独特であり、行間を読者にかなり埋めさせるところがある。そこの台詞が、読む者の心に浮かんでくる。胸がきゅんと締めつけられる。そういうタイプのマンガは、線の細い感じが印象によくあるのだが、女性漫画誌によくあるような気もするから、女性の感覚なのかもしれない。しかしこうのさんの絵の場合、私は、登場人物の「横顔」のときに出てくる言葉に注目することにしている。否応なく、横顔から出てくる言葉が、心に深く浸みてくるのだ。真っ向からこちらを見る顔は殆どない。多くは斜めである。書きやすさがあるのかもしれない。顔をしっかり見せる斜めの顔が主流で、私たちに登場人物をしっかり見せてくれるのであるが、時折、ふっと私たち読者から視線を外すように、横を向くのである。そのとき、ふだん見せるのではない、心の奥の言葉、陰に隠れた言葉がこぼれてくるような気がしてならないのである。
私たちはどうだろうか。相手の目を見てではない、横を向いて、そのとき、相手の心に突き刺すような気持ちはさらさらなく、しかし自分の聴いてほしい、分かってほしい思いを風に流すように発する。そんなことが、確かにあるかもしれない。
戦争が運命を変える。命を奪う。心に疵を残す。心に秘めたものが、誰にも訴えられずに、ここにある。でも、聴いてほしい。誰かに分かってほしい。その重たさを、重々しくなく、それこそ世界の片隅にさりげなく、だが確実に刻むかのように、置いていく。その謙虚さが、分かる人には分かる。日本人のよい奥ゆかしさなのかもしれない。私たちはそれを受け止め、そしてまた、誰かに呼びかける。さりげなく呼びかけることになるのだろうが、できれば、呼び止めるほどに、叫びたくなることがある。戦争という醜いものに対しては、何も正義をもたらさないということは、力強く言わなければならない。そういうところにまで、再び来ているのではないかと危惧される。だからこそ、こうのさんの漫画に勇気をもらいたい。
こうの史代さんは2017年現時点で、福知山市にお住まいだという。戦国時代の哀しい歴史を担う地域である。戦争は、その時代のものとはもはや別物になってしまったけれど、また新たにいまどんな思いを育んでいるのだろうか。