本

『キリスト教で見るもうひとつのアメリカ』

ホンとの本

『キリスト教で見るもうひとつのアメリカ』
石黒マリーローズ
日経プレミアシリーズ085
\892
2010.6.

 以前から、英語に関心のある人に対して、聖書をお薦めするというスタンスで、新書など手に取りやすいものをいくつか著している方だということは存じていたが、じっくり読んだのは今回が初めてである。
 書き慣れたテーマだけあって、内容も呼びかけ方も、うまい。その意味で学ぶところがいろいろあったように思う。
 ふつう、英語を主役にしそうなところだが、今回、アメリカ合衆国に絞ったというのも、ひとつの利点である。出版時期の問題もあるが、オバマ大統領に的を当てたやり方は、読者へのアピールも強かったことだろう。オバマ大統領もまた、アメリカの指導者としてキリスト教徒であり、演説の中に、聖書にまつわる表現が多様される。なるほど、恰好の素材であろう。
 出版社が、日本経済新聞出版社であるというのも、アメリカに絞った理由の一つかもしれない。経済的な話題もあちこちに出てきており、その都度の大統領をはじめ有識者や経営者などの言葉の中に、聖書を知らないと理解できないフレーズを紹介しているのだ。これは、様々なメディアに触れているときに、ピンと気づくものでもあるだろう。しかも、それを日本語の通訳がどう訳出しているかという点にも注目している。それはなかなか辛口である。もう触れずにスルーしているというケースも多いらしいし、肝腎の言いたいことや腹で思っていることなどを伝えることができずに、およその方向性だけを示して訳が終わりということが少なくないようだ。
 その都度、聖書の個所を英語で引用し、その表現が聖書に由来すること、また、どのような意味でその表現がとられたのかを、丁寧に解説していく。ひとつひとつがコラムのように置かれているから、少しずつ切り分けて読んでいってもそれぞれ楽しめる形になっている。
 著者のスタンスというか、伝えたいことは、分かりやすい。英語を学ぶならば、聖書を知らなきゃいけない、というもの。これに反発を覚える人も、いるかもしれない。アメリカに行って、マクドナルドで注文ができたらうれしい、というような英語を目的としているのならば、聖書なんて何も知らなくていいのだ。だが、政治的な領域なり、英語の歌詞の理解にしても、聖書が文化としてそこにある限り、それについて無知でいるとなると、そこに暮らしていったり、その人々とつきあっていったりするときに、理解不能に陥ることや、はたまたトラブルを起こすことも多分にありうることだろう。逆に、仏教や神道に無知で日本に住んでいたら、理解できないことがたくさんあろうというものだ。いや、それらよりも、キリスト教文化は、もっと生きている。
 国際化ということが華やかに言われて久しい。しかし、それは文化を理解するということを包含しているものであったはず。語法だけを理解して英語が分かった、などと言うのはやはり無理なのだ。いやいや、そもそも文化を知らなければ、英語の語法というものも、理解していなかったということになるものだろう。
 具体的な例は、どうぞ本書を開いて戴きたい。英語から興味を抱いて、聖書の中に首を突っ込んでくださったら、と思う。
 ただ、聖書というものは、そもそも英語で書かれてあるものではない。英語もまた、日本語と同じく、近代的な翻訳の一つに過ぎない。時折、聖書を英語で読めばより深い意味が分かると勘違いする人がいるが、そんなことはない。その人の母語が日本語であるならば、日本語で読むのが、原語に次いで優れている。英語で聖書を読めば聖書がよりよく分かる、という代物でもない。この本では、あくまでも英語でよく現れる表現が、聖書に由来している、という点をたくさん挙げるのが特徴なのであった。
 それから、著者はカトリック信仰だと思うが、プロテスタント的観点については、よくいえば無関心、わるくいえば粗雑な扱いをしているように感じられた。とくに洗礼のあたりの記述には、その印象が強い。こま本に説明されたキリスト教文化は、そのうちの半分の面を描いている、という受け止め方をしたほうがいいだろう。聖書の一語一語にこだわっていくような人生はつまらないよ、というふうに受け止められかねない風をそこに覚えるが、それはそれでいいし、また、そうでない聖書観も、あってよいはずだ。
 オバマ氏が大統領になったとき、その就任演説をきっかけに英語ブームが起こった。大統領でいる間に、この本が多く手に取られるのであれば、聖書への関心もまた広がることだろう。この新書が、多くの書店で扱われたらいいと思う。




Takapan
ホンとの本にもどります たかぱんワイドのトップページにもどります