『トムは真夜中の庭で』
フィリパ・ピアス
高杉一郎訳
岩波書店
\1650+
1993.11.
岩波の「世界児童文学全集25」という、立派なハードカバーの装丁。260頁ほどあるにしても、この価格は当時としてはなかなかのものではなかったか。しかし、愛蔵するには十分だ。その後30年以上経って手に取ったのだが、昨日発行されたのではないかと思われるほど美しい。製本というものの深みを覚える。
それはそうと、ピアスの代表作とも見られ、よく知られるのが、この『トムは真夜中の庭で』である。本書には、この一作しか収められていないから、子ども向けのレイアウトとは言っても、かなりの長さである。それでいて、やたら長いという感じを与えない。そこは作者の腕前であろう。
主人公はトム。弟のピーターが「はしか」にかかったため、休暇をひとりおじとおばの家に預けられて過ごす。大事にされるが、だが、子どもだけが早く寝かされることに不満で、夜中まで起きていることがあった。そのとき、大時計が、ひとつではなくて、13時を知らせるのに驚く。何かあるのか、と興味をもち、アパート付きのその邸宅の中を探索するようになる。すると、ドアの向こうに、美しい庭園があるのを発見する。こんなものがあるなんて。
やがてトムは、その庭で人に出会うが、どうやらトムは相手からは見えない模様。まるで自分が幽霊にでもなったかのような錯覚に陥るが、どっこいトムは自分こそが正常だと信じて止まない。しかし、トムのことが見えている子がいた。ハティという女の子である。以後、トムはこのハティと交流を始めることになる。
とても美しい描写に包まれて、そしてトムたちの会話が生き生きとしていて、大人でも、物語の中に引きずり込まれてゆくのを覚える。
主人公とも言えるこの二人の出会いが、物語の中枢を築いてゆく。互いに孤独を覚えるような中で、しかし互いを頼りすぎず、反発もし過ぎず、長い休暇の中で、何かしら成長してゆく。但し、どうやらハティの成長の方がテンポが早いらしくて、トムはほんのわずかな時間しか経過していないようで、時間の感覚がアンバランスであった。
その時間にまつわる、私の一番心に留まったところだけを、詳しい説明はすることなしに引用させて戴こう。
このままほっておけば土曜日になってしまうふつうの「時間」を、庭園のなかでいつまでも遊んでいられる「時間」――つまり「永遠」ととりかえようというのが、トムの計画だった。「時間を永遠ととりかえた。」トムは声にだしてくりかえした。しかし大聖堂の壁からは、どんなこだまもかえってこなかった。(p302)
これは、大聖堂の外に、祈念碑を見つけたときのことだ。それはロビンソンという人のもので、「時間」を「永遠」ととりかえた、のだそうだ。それを、トムは読んだのである。
私が思うに、ここは物語全体の中で、核心的な部分ではないか。もちろん物語の進展や結末は、ここに明かすわけにはゆかない。しかし、なかなか他に類を見ないような形で、ファンタジーの要素が徹底されるのは間違いない。でも、違和感を覚えたり、不自然さをツッコみたくなったりはしない。むしろわくわくしながら、最後まで突き進むのである。
物語は、三人称で書かれている。それは間違いないが、視点はずっとトムから見えるものとして設定されている。だから心理描写も、トムのものばかりである。だが、描かれているのは、ハティもである。そして、大人もまた描かれていることで、この物語が大人が読んでもときめくものであることを証明する。もしもまだお読みでなければ、大人の方、ぜひお手に取って戴きたい。ときめきを分かち合いたいからである。
ステキなファンタジーである。1958年にイギリスで発行されると、すぐに話題になり、大きな賞を受け、またドラマや映画となるなど、人気の作品となった。いまもなお、その輝きは失われていない。

た
か
ぱ
ん
ワ
イ
ド