本

『東京奇譚集』

ホンとの本

『東京奇譚集』
村上春樹
新潮文庫
\460+
2007.12.

 短編集である。しかしその最初の冒頭に、村上自身が登場する。これから話す不思議な体験話の前口上が語られる。
 音楽にまつわる、いつもの村上節が出たかと重うと、それと比較できそうな不思議な出来事があったのだというふうに、話に惹きこんでいく。巧い。「偶然の旅人」であるが、幾重にも、その全編に流れる曲の和音のように、響いてくるものがある。そして本当は、知人の話だということで、ようやく始まって10頁近く先に、体験談が始まるのである。ゲイであるピアノ調律師が、出会った女性から告白を受けて、その女性のもつ運命が、彼の姉の現在につながっていくという成り行きが、淀みなく語られていくことになる。
 次の「ハナレイ・ベイ」はまた強烈だった。サーファーの息子を海の事故で喪った女性の半生記でもあるものだが、ハワイでその息子と会いたいという一心が、少しばかり彼女の願った形ではないものとして体験される経緯が、リアルに語られる。一つひとつの細かな事象の描写が、なんとせつなく、重く響いてくるものであろうか。ちょっと怖いという点では、この作品が最も心を襲った。
 三つ目は「どこであれそれが見つかりそうな場所で」。ネタバレは慎むべしというこのコーナーのモットーから、そのオチを明らかにしてしまうことは慎まなければらないが、物語を最後まで読んだときに、思わずにやりとしてしまうであろうことくらいは、お伝えできるだろうか。僧侶であった夫の父親が事故死する。独り暮らしの母親は同じ建物に住んでいるが、夫は母親を訪ね、そして行方不明になる。ここで私なる存在は、ボランティアで、行方不明の人を探す手伝いを買って出ているということで、この女性の依頼を受けるのであった。実は、この私なる者へと読者は注目しなければならなかったということに、気づかされることであろう。
 長いタイトルはもうひとつ続き、「日々移動する腎臓のかたちをした石」は、そこそこ曰く付きの小説家が年上の女性と出会った中で、タイトルのような小説を書くに至る物語、とでもしておこうか。何がどう謎であり、またその謎解きはどうなのか、そんなことを村上春樹は考えさせない。説明などできないところが持ち味であろうし、またそれが人生というものであるはずである。私の部屋にもその石があるのではないか、という感覚が芽生えたら、作者はきっとニヤリとしてくれることだろう。
 そして最後に「品川猿」。ちょうど、と言ってはなんだが、私が本書を読んだころ、村上春樹は最新刊として『一人称単数』を世に問うた。短編集だが、私はそこに納められている作品のいくつかを、雑誌『文學界』で読んでいた。その中の「品川猿の告白」を知っており、とても心に残っていたが、それを読んだときには本書を知らなかったから、なるほど、その背景あるいは下敷きはこれなのか、と納得した次第である。しかし、本作には、この猿がなかなか登場しない。なぜに題が「品川猿」なのか、初めのうちは気になるが、そのうちそんなことには関係なく、物語に惹きこまれていくのだから、心憎い技だと言えよう。従って、この猿君については、ここで明らかにする訳にはゆかない。
 ただ、何かと暗示的であり、それでいて特定の象徴であることなど匂わせもせず、だから謎を解くなどということはやめたほうがよいことだけは、確かである。もしかすると作者自身、答えなど持っていないのかもしれない。いや、きっとそうだろう。読者の数だけ答えがある。一人ひとりの人生が違うのだから、きっとそれでよいのである。
 性的な描写は極力抑えられ、また描写も大袈裟なことはなく、淡々と語られていくので、文学色を濃くしていると言えるかもしれない。それでいて、読者を独特の世界の中に見事に連れて行くわけで、最初に漏らしたように、巧い、の一言である。また、不思議な話が集められているからこその「奇譚」なのであろうが、ここにこそ村上春樹の真骨頂があるのではないか、と感じるものであった。




Takapan
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