本

『テレビとのつきあい方』

ホンとの本

『テレビとのつきあい方』
佐藤二雄
岩波ジュニア新書
\780+
1996.1.

 えらく古く思われる出版であるが、これが小学生の国語の教科書に取り入れられているので、見て損はないと思われた。この中の一部が五年生の教科書にあるのだが、しかし他の箇所は、五年生に読ませるにしてはわりと難しいのではないかという気がした。それもそう、これは中高生がターゲットの新書シリーズであるし、私の目から見れば、昨今は中学生にはきつい。高校生あたりが無難だろうと思われるのだが、そういう内容の本の一部は、確かに小学生のためにも有益なのである。
 テレビに出てくるものは、取材されたものの中から選びぬかれたごく一部である。しかしその選択は、制作サイドの都合によるものであるから、そのときの目的や考え方によって、ずいぶん違った印象を与えることになりかねない。切り取り方によっては、同じ取材から全然逆の輿論を生み出すように仕向けることも可能なのである。テレビがすべて真実だと思い込んでしまいがちな小学生にはよい刺激となったことだろう。この教科書の文章も、いわはこの本から切り取られた一部分なのであるから、果たして著者は本全体でどのような主張をしているのか、それを探ろうと思い、私はこの本を探した。ようやく図書館で見出したので借りたというわけである。
 高校に入学した「秀樹君」が、おじである著者に手紙を寄越す。テレビというものが気になる。いったいテレビとは何なのか。テレビ局を長く勤め、教育の場でそのことを教えているという著者に尋ねてみた、というわけである。この形式で、幾度か手紙のやり取りがなされたものを掲載した、というのがこの本のスタイルである。この場面設定もなかなかよくできている。が、やはりこれは高校生相手なのである。テレビ局の裏側での立場や様子を混じえ、そこに含まれる問題点や、子どもに与えるテレビの影響などが、4頁ずつの短い説明の繰り返しで伝えられていく。一区切りつけながら読んでいくことができるので、読みやすさも若向けである。
 20年という月日を経てこれを見たことになる私だが、あまり古びた印象はもたなかった。ただ、当時の中高生などにとっては、ここにあるように、テレビが実に大きなウェイトを占めていたことであろう。今なおテレビは健在であるが、当時ほどの重要性は任されてはいない。今は、ケータイからスマホ、あるいはパソコンも含めて、ネット通信社会である。テレビも双方向が取り入れられているが、なお情報はそこから受けるというのが基本であったのだが、今は発信も加わり、そこに具体的な人間関係が濃く影響するようになっている。たんに箱から情報が送られてきてそれになんとなく時間を奪われるという、かつてのテレビの位置は今では別のものが占めていると言えるだろう。
 その意味で、この本のように「テレビ」がどうのこうの、と言われても、若い人々はピンとこないものであろう。今の子たちには、テレビなしでも十分生きていけるのである。また、テレビ番組も、ネットで、へたをするとオンデマンドで視聴するひとつのメディアに過ぎないのであって、この本が著された時と同じままのテレビ論は成り立たなくなっている。
 従って、どうかすると、この本の「テレビ」は、「ネット」のように言い換えてもいいかもしれない。が、棋界的に置き換えても当てはまらないことが多々ある。情報の方向性や速度、規模が違うからだ。そういうことから、改めて著者には、「ネットとのつきあい方」について提示してくれるような仕事が待たれているのではないかと思われる。テレビと言いつつ、今なお通用する普遍的な視点はこの本にもたくさんあると思うから、中高生相手であるならば、また現代的なメディア論があってよいかもしれないと私は考える。
 また、当時指摘された問題が、いまなお解決されていない面もあれば、改善に向かっている面もあるように見えるのを見ると、それはそれでひとつの面白い読み方だ。予言のように見て、当たり外れを指摘する必要はないが、解決し残している問題や、その後生じた問題などを、意識することもできるだろう。そういう読み方ができるという意味で、インターネット前の時代のメディア論には、味わいがある。
 さて、小学生と現場の教諭は、どう感じるだろうか。私は教科書の文章を見て、すぐに、戦争や言論統制のことを思い浮かべたのだが、そういう観点から取り上げる現場教育というのもあるのだろうか。




Takapan
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