本

『テレビコメンテーター』

ホンとの本

『テレビコメンテーター』
中野雅至
中公新書ラクレ443
\840
2013.1.

 コメンテーターをコメントする。なかなかできないことだ。だから、コメンテーター本人が、それをやってくれた。いわばメタ言語による論評であるのかもしれない。だが、自分自身が経験していること、他人がおいそれと経験できないことを、露わにしてくれたことについて、読者は感謝すべきだろう。
 まず、そのギャラあたりをドンと言ってしまうところで、虚を突かれるような思いを抱くのではないだろうか。また、「はじめに」の一行目から、この本を著す動機なのであろうが、橋下徹大阪市長のことを持ち出している。この著者、橋下氏に叩かれた人である。橋下氏に関することでテレビ番組でコメントしたところ、橋下氏がツイッターで個人的に攻撃をしてきたというのである。その言葉の中に、「批判だけのコメンテーター」と噛みついている部分がある。著者はこの言葉を重視して、この本のサブタイトルを「「批判だけするエラい人」の正体」ともってきた。マスコミに敵なしとも言えるような勢いのあるヒーローから名指しで、ネット上に批判をされた本人である。大人げない対応をしようと思えばできたかもしれないのに、そこは我慢し、しかしこのことをきっかけに、言うなれば昇華して、そもそもテレビコメンテーターとは何だ、ということを考察して一冊の本にまとめたというわけである。
 そこに、ルサンチマン的な思いがないわけではないだろう。だが、見るかぎり、他ではなかなか見られないような、有意義な議論と問題提示がなされていて、なかなか読み応えのある新書となっているようである。誰でもが簡単に言えないこと、また言っていないことを述べるというのは、大切なことだと思うからである。
 まずは、著者だけが知りうるような情報を提示してくれる。コメンテーターの報酬はどうなっているか、それはどうやって選ばれるのか、なろうと思ってなれるのか、そうした実情を明らかにしてくれる。そして、コメンテーターなるものはなにをすればよいのか、どういう仕事をするべきであり、またどういう能力が必要であるのか、を検討する。また、守らねばならない暗黙の規則のようなものも言語化しようとしており、次第に話はコメンテーター個人の問題から、マスコミという視野になっていく。その場合、さまざまなマスコミ形態があるわけだが、さしあたりテレビを供給できるような、大手のマスコミがターゲットである。
 そして、マスコミが社会を動かす大きな力であるとして、そこにかつて働いていた「批判」が薄れ、「独裁」を許すようになってきている側面について、様々な分析を施す。このあたりに、橋下氏という実例がちらついているのは確かだが、必ずしもそこだけを狙いをしているのでないことは、間違いないと思う。
 その上で、あくまでもこの本は、テレビコメンテーターという主題であるという立場を逸れることがないように配慮しつつ、今後のテレビコメンテーターのあり方や意義についてコメントして幕を閉じることになる。しかし、そこにはやはり、マスコミュニケーションの問題が強く意識されており、マスコミ論としても見逃せないものがある。つまり、コメンテーターという存在について真正面から取り上げることが、案外世の中になかったように見えるわけで、この本をきっかけとして、そうした側面についても考えていけるようになったらいいのではないかと感じた。
 著者は、公務員の問題を論じることを得意としている。だから、政治や経済といった領域について社会を見る眼差しをもっているわけだが、だからなおさら、社会におけるマスコミというものについて、私たちはもっとこういう視点を得て、考えていく必要があるように思えた。このマスコミに、私たちはかなり誘導され、操作されていることが明らかだからである。まさに、私が自分で自分の考えで判断していると思っているそのこと自体が、マスコミという他者にいいように操られている可能性が、少なくないのである。そして、えてして、自分だけは大丈夫、などと言って軽く見ている者が、様々な病気と同様、真っ先にやられているということがあるのであり、しかも自覚症状がないというだけに、治療を考えないためにやがて取り返しの付かないところまでいって手遅れになる、という事情が、世の常であるからである。




Takapan
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