本

『The Sense of Wonder』

ホンとの本

『The Sense of Wonder』
レイチェル・カーソン
上遠恵子訳
佑学社
\1165+
1991.6.

 偶々、ラジオでこの訳者がゲストで話しているのを聞いた。ずいぶんお歳を召していたが、話しぶりは若かった。とにかくレイチェル・カーソンに惚れ込み、いくつかの本を訳しているという。熱っぽく電話で話すその言葉は、とても上品で、また自然への愛に溢れていた。
 実はこの本、図書館が古い本を除籍扱いするときに、時々持ち帰ってよいものとして置かれていたもので、私はこれを一度読みたいと思っていたので、戴いていたのだ。
 こうして、点と線が結びつくように、私はラジオ放送の翌日、この本を職場へ往復するその旅に連れて行くことにした。
 美しい写真は、原著とは違うというが、タイトルの「センス・オブ・ワンダー」に相応しい、自然を切り取ったひとこまたちであった。なんと不思議な、そして美しい風景が、自然には与えられていることなのだろう。
 『沈黙の春』で命を刻みながら訴えた自然に対する人間の無慈悲な振る舞いとその行く末については、世界が目を覚ました。だが、未来は子どもがつくる。癌に冒されたレイチェルは、子どもたちのために、自然への驚きの心を懐くことの大切さを切々と訴えた。分かりやすい言葉で、語りかけるように、自然の素晴らしさ伝える。いや、伝えるのではなく、見出してほしい、との願いをこめて呼びかけるのだ。いうなれば、自然と出会ってほしいということなのだ。
 人為的な「知識」ばかりの人間になってほしくない。生物の名前が分からなくてもいい。そんなのは、必要なときに調べればよいだけだ。だが、いまそのときにしか出会えない自然の顔には、いま直接的体験として出会っておかなければならない。その出会いは、豊かな心を育むのみならず、充実した人生を送ることにつながることだろう。
 もちろん、大人にもこれを伝えたい。そして親である方々、子どもたちに教える立場の方々には、このことをその子どもたちに伝えてほしい。
 残された時間が限られているレイチェルは、命を絞り出すように、しかし悲壮な雰囲気など微塵も見せずに、語っていく。まるで、彼女自身が自然と一体化して、自然の奥義を開示するかのように。
 もちろん中は日本語であるのだが、タイトルは英語の原題をそのままに用いた。せいぜい、カタカナが添えてあるだけである。日本語をひとつ決めた瞬間に、レイチェルの心を裏切ってしまうかのように思えたのであろうか。しかし本文中に、この言葉が登場するところがある。そこには、カタカナが置かれているほかに、その意味が日本語で解説されている。本当は直にその箇所に出会って戴きたいのだが、敢えてここに記すことにする。それは「神秘さや不思議さに目を見はる感性」であるという。世界中の子どもたちに、生涯消えることのないこれを授けてほしい、と自分は妖精に頼みたいというのである。
 この切なる思いが、初めから終わりまで貫かれている。締めつけられるような感動とともに、読者は思うだろう。この本もまた、「ワンダー」である、と。それに満ちた心が与えられたら、まさに「ワンダフル」なのだ。




Takapan
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