本

『スヌーピーたちのアメリカ』

ホンとの本

『スヌーピーたちのアメリカ』
廣淵升彦
新潮文庫
\544+
1996.11.

 私はスヌーピーを愛する。小学生のとき、映画の試写会に当選した。それを見て以来だ。鶴書房のコミックスも、小遣いを貯めて何冊も買った。スヌーピーの絵を、ノートに何百も描いていた。
 その十年後、キリスト者となった。すると、スヌーピーとピーナッツを描いたチャールズ・M・シュルツがキリスト者であることを知った。しかも、説教ができるほど教会で重要な人であったという。改めてピーナッツを見ると、確かに聖書の精神に裏打ちされたものが漂ってくる。もちろん、それは護教的なものではないし、押しつけがましいようなものではない。アメリカの文化の中で、あるいはちびっこたちの間ででも普通に備わっている生活の一部というような感じである。だが、それでいて聖書のスピリットがぴりりと効いてくるのも本当である。
 著者は、ピーナッツのファンである。ものすごく好きである。コミックスは全部もっているらしい。そうとうに入れ込んでいる。これはアメリカに関する文化論である、というふれこみがあったので開いてみたが、ずっとピーナッツの紹介ばかりであった。キャラクターからそのコミックスの良さをなんとか理解してもらおうと宣伝している。これを知らないと絶対に損だといわんばかりの勢いである。アメリカ人と話をするときに、ピーナッツのことを話したら打ち解けたとか、仲間と認めてもらえたとかいう話が随所に飛び出してくる。また、時にアメリカ人も気づかないような点を指摘すると感心された、というようなエピソードもこぼれてくる。いやはや、とにかくピーナッツに関するマニアがここにいた。
 私は改めて紹介してもらう必要はなかったが、それでも、キャラクターの位置づけやその強調点などはしっかり聞いておく必要がある。というのは、それが後半の叙述の背景となっていくからだ。ペパーミント・パティの役柄については、随所でものをいうようになる。
 ここに描かれているのは、こどもたちの世界である。だが、明らかに大人も含めた「こどもたち」である。それぞれよくつくられたキャラクター像であるが、大人の心に響く言葉がいくつもある。私もついほろりとくるような話が引用されている。それらは、ピーナッツのマンガである。著者は直接シュルツに交渉して、掲載する許可を得ている。長い付き合いがなければこうしたことにはなかなか許可をしないことで知られるシュルツが、この著者に許可を出したのは珍しいようだ。意図を理解してくれたのだろう。
 人生を教えてくれるピーナッツは、アメリカのアポロ計画の中に名を残すほど、アメリカでは大きなものとして認められている。ルーシーとライナスが引っ越していったときには、全米に大きなパニックを巻き起こしたという。ライナスの毛布が空に舞い上がり飛んで行ったときには、世界各地で目撃情報が寄せられ、大きな企業もその騒ぎに乗っかっている。もう、まともではない。それほどに、アメリカの一部となっているのだ。シュルツが連載を止めたときの大騒ぎは、私の記憶にも新しい。本書はまだ連載中のことであるから、そのことには触れられていないが、あの時もアメリカ全土がたいへんな反応をしていた。
 こうして人生に関してピーナッツが教えてくれるものをふんだんに語った後、ちょうど半ばからは、雰囲気が変わる。スヌーピーが時折演じるレッドバロンに挑む飛行士となることに関して、ベトナム戦争に対するアメリカのひとつの姿を学ぶ。当時日本人が夢の生活のように見ていたアメリカのドラマの姿と現実との違いや、習俗や生活態度、気質やモットーなど、アメリカの生の姿が、ピーナッツを通して指摘されるのである。そこには神学者や精神分析というお堅い部分も含まれている。ライナスやルーシーはアメリカのそうした日常を伝えるからである。このあたりは、日本人に対する説明であるのだろう。アメリカとはこのような国であり文化なのである、と。
 チャーリー・ブラウンたちは、社会問題に対する提言をも発する役割を果たしている。小児ガンについての物語は、確かにショッキングだった。いつも愉快なマンガが、重い問題を突きつけてきたからである。テレビ番組として、ノルマンディー上陸作戦を真正面から扱った話もあった。1984年のメモリアル・デーに放送されたこの番組では、冒頭でシュルツ自身がコメントを語っているという。
 本書は最後にようやく、ピーナッツが作品として世に出るときの経緯について解説する。シュルツ自身の生い立ちや性格については、随所で触れている。アメリカをありがちな姿で引っ張り出すようなことをするのでなく、ピーナッツを通じて自分が触れたアメリカという生きたものを伝えることができたらいいと願っていたようなことを言いたいのではないか、と私は感じた。そして、アメリカをこのように知ることで、私たちは日本をよりよく知ることができるのではないか、という視野も著者はもっている。私もそう思う。私がこれを読んだのは、発行から四半世紀も後のことであり、当時のアメリカの姿や日本との関係などは、すでに歴史の中に置かれたもののようになっているのであるが、その後の世界を見渡すときにも、ここで得られた視点というものは、必要であり、大いに役に立つものであったのだということは、自信を持って言える。決して古びてはいない。私としては、ピーナッツを知ってもらう入門のためにも、まだまだこの本には活躍してもらいたいものだと思うものである。




Takapan
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