本

『ダイヤモンドより平和がほしい』

ホンとの本

『ダイヤモンドより平和がほしい』
後藤健二
汐文社
\1365
2005.7

 副題に「子ども兵士・ムリアの告白」とあるように、ムリアという15歳の少年への取材が、この本の中心となっている。一人の真実を求めることは、浅く全体を網羅するよりも、深い理解を与えてくれる。
 シエラレオネ。ニュースで聞くだけの国内の争乱という言葉では、私たちの想像力は殆ど無に等しい。そこにどんな傷があり、憎しみがあり、果てしのない報復があるのか、そしてどんな痛みの中で、生き残った者が生きていかなければならないのか、それを知らせてくれるゆえに、ジャーナリストの仕事は、意味が大きい。
 シエラレオネを訪ねると、いきなり手を失った人々と出会う。そうした子どももいる。反政府勢力が、暴力を恐れて手を切り落とすというのなら、女の子を襲う理由は何一つない。
 そんなばかな。日本にいる私たちは思う。だが、これが日常となった社会では、日本での不平不満など、甘っちょろいことを、この本は見せつける。
 とくに、襲ってくる兵士が少年であるという事実に、私たちは驚く。後にこれらの少年は、麻薬を体に埋め込まれたがゆえに、怖れるものなしに人々を殺傷していたことが明らかになる。親を殺され、拉致された少年たちが、今度は人を殺す兵士として育てられてゆく。
 いったい、誰を非難すべきなのか。この少年たちを憎めばよいのか。
 ここで、教会が登場する。スペインの神父が登場する。国の人口の10%しか占めないというキリスト教徒の助けが、少年たちを立ち直らせるために力になっているのだという。少年兵士が捕まえられると、麻薬から抜け出させ、立ち直るために教育するのである。
 文明国と自称している国々での、少年犯罪の刑罰をどうするかなどという議論がなんと小さなものに見えることか。
 ムリアは、ひどいことをした自分を悔いる。だが、その傷は消えないにしても、人の役に立ちたいとの思いから、将来、大統領になるために勉強する、と言っている。
 彼らは、礼拝し、祈り、賛美している。その姿もジャーナリストはリポートする。ただ、これは仕方がないと思うが、その苦悩の祈りの描写に気になる部分があった。「まるでひとりひとりが神さまと対話をしているようでした」(84頁)とあるが、「まるで」は多分いらないと思う。神との対話が祈りなのであるから。
 ふりがな付きなので、小学生でもすぐに読める。痛々しい描写も淡々と記されているところが、却って重く厳しく伝わってくるから、心して読んでください。




Takapan
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