本

『人生の短さについて』

ホンとの本

『人生の短さについて』
セネカ
浦谷計子訳
PHP研究所
\1365
2009.3

 二千年前、ちょうどイエスと同じころに生まれた、ローマの哲人。その有名な本が、ハードカバーで世に問われた。左の頁に、まるで断片であるかのようにちょこちょこと本文が並べられ、右の頁には、そこからちょっと光る句だけを抜いて、大きな文字で贅沢に書かれている。
 頁が、簡単にめくられていく。本の厚みや装丁から考えると、情報量は極めて少ない。だが、読みやすいという印象を与えることには成功している。
 ローマの食糧配給長官であるパウリヌスに宛てた、セネカの手紙である。その具体性の中で、非常に抽象的な事柄が論じられている。それは、現代の私たちにも、実に鋭く迫ってくる性質のもので、決して古びた昔の人の戯言などではない。
 パウリヌスに、他人のためにあくせく自分の能力や貴い時間を浪費するばかりであるよりは、自分の人生をじっくり思索してみないか、と呼びかけている。そのために、人生が如何に短いかを、様々な角度から説いている。いや、短い人生を嘆くようなものではなくて、そこに生活の質を見出すべきだという提案であるように見える。
 若者には、向かないかもしれない。どうぞ、人生の後半にさしかかったような人は、お読み戴きたい。心に刺さり、心に残る言葉に出会うことだろう。
 驚いたのは、これはラテン語からの訳ではないということだ。ラテン語が分からないので、英語訳を訳したのだ、と。これは、古典の取り扱いからすると、邪道である。しかし、これは原典批判をしようというものでもないし、古典の底本としようなどという気があるわけでもない。たんに、こういうことを考えている人や、名著に触れてみたい人に、手にとってもらえればよいのである。孫引きのような訳であっても、スムーズに意味が分かるような読み方ができれば、それでよいのであろう。ただ、そのことを「訳者あとがき」になって最後の最後に明かすのではなくて、もっとおおっぴらに示しておいて欲しかったと思う。英語から訳したというのは、多くの読者が期待していない訳し方であるのだから、その点を表に出してしかるべきではなかっただろうか。
 それにしても、自分のために時間を使うことがよろしいと押し通すあたり、この具体的な手紙の相手のパウリヌスにアドバイスするならそれはそれでよいのだが、世の柵はそんなふうにはいかないよ、と日本では思われそうである。逆に、時間を自分で使ってごらんと言われると、戸惑ってどうしてよいか分からない人も案外多そうである。
 時間を自由に使えるというのは、たしかに現代では贅沢であるのかもしれない。だからまた、自由な時間があるときに、それをどう使うか、どう生きるか、それも見逃したくないものである。




Takapan
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