本

『日本の教会と「魂への配慮」』

ホンとの本

『日本の教会と「魂への配慮」』
加藤常昭・井ノ川勝・賀来周一・山岡三治
日本キリスト教団出版局
\2600+
2005.1.

 全12巻の「魂への配慮の歴史」シリーズの完結を受けて、2004年8月に行われた座談会を記録した本であるが、200頁近くにもわたる座談会が、どれほどの時間行われたか、想像できない。それらはこのように文字にして価値ある内容で、学術的な内容をたっぷり含むものなのである。実に驚くべき座談会である。
 シリーズは、クリスティアン・メラー編ののもので、牧会者の歴史を辿るもので、聖書の中に見られる牧会から始まり、古代・中世・宗教改革期を経て、啓蒙時代から19世紀、そして二つの大戦後の牧会に照明を当てて紹介する。多くの筆者を集め、その道の専門家や詳しい人に任せて論じてあるため、一つひとつの記事には厚みと信頼があるであろう。
 本書は、この全巻を辿りながら、それぞれの牧会者への簡単な紹介とその思想について現代の視点からのコメントや学ぶ意義などを、碩学たちが語り合うという形式になっている。つまりは、シリーズ全巻のコンパクトなまとめとなっている、とも言えるわけで、私のように全巻揃える財力も時間も置き場もないような者には、実にありがたい企画となっている。
 しかし、困ることがあった。それは、紹介される牧会者たちがあまりに魅力的に見えてきて、幾人も、そうだったのか、と改めて知ったり初めて知ったりするのみならず、そこに記されているその著作を読みたくなるのである。毎日何頁かずつ読んでいくのであるが、ひどいときにはその場でアマゾンのサイトを開いて購入したりした。いったいそれでよかったかのかどうか、今以て分からない。
 4人の関心は、歴史の細々とした事情ではない。いまここにおける牧会の必要性と意義である。いまの教会が、そしてこれからの教会が、どう牧会という課題に向かっていけばよいのだろうか。それは信徒としての大いに関心があることであるのだが、牧会者自身はなおさらであろう。実際、どのように教会を形成していけばよいのか、その肩にかかっているのであるから、自分の考え方や方針ひとつで、救われる人が起こされたり、人が散ったりするのである。真摯にならざるをえない。
 ここで、戸惑っている方がいらっしゃるかもしれないので、ご説明すると、教会で牧師や司祭が信徒の世話をするようなことを「牧会」と呼ぶことがあるのだが、これはドイツ語で「魂への配慮」という語を合成した語で表されている。教会の頭として信徒の前に立つ仕事は、信徒の魂を配慮することをしているのである。もちろん説教の占める部分が大きいと考えるのはプロテスタントであろうが、これも派により温度差がある。そしてなにも説教がすべてであるわけでもない。また、それをどのように捉えるのかは、時代や神学者、牧師などによって違う。それを、この歴史を紹介する一連の論文集で提示しようというのである。
 すると、キリスト教2000年の歴史の中で、精一杯人間が行ってきた魂への配慮と、その実践を助けた思想、導かれた神学というものが何であるのか、12巻とはいえ、まとめあげた意義は大きい。まさにいま、そしてこれから、ここに全くない牧会が始まるのかもしれないし、かつて重視されて近年忘れられていた視点が取り戻されて表に立つのかもしれない。大切な宝を過去に置き忘れていたとしたらもったいない。歴史を振り返るのは、そういうためにも重要である。
 自分の目に正しいと思うことをしていた。それは士師記の記者による、手厳しい批評である。私たちがその域を出ていないのだとしたら、寂しい。神学者だけの理解や知識であってよいはずがない。牧会される私たちがただの迷える羊であることを、神は望んでいるようには感じられない。少なくとも、プロテスタントでは、万人祭司という立場を有しているのだ。信徒一人ひとりが、魂への配慮を行うべく、呼びかけられ、集められていると考えるべきではないだろうか。
 本書は、そのための手引きとして、濃縮された、実に役立つ一冊となっている。




Takapan
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