本

『シュレーディンガーの猫』

ホンとの本

『シュレーディンガーの猫』
小倉千加子
いそっぷ社
\1680
2005.8

 生きていると死んでいるとが可能性として半々の箱があるとする。猫をその中に入れる。一定の時間が経ったとき、はたして私たちがその箱の中を覗いてみたとき、その猫が、下半身が死んでいて上半身が生きている、ということを発見するだろうか。そんなことはないだろう。
 科学が不変妥当性を求める余り、確率論に陥っているが、現実は生きているか死んでいるかのどちらかしかないのであって、科学が現実を納得できる形で述べているわけではない――というふうなタイトルであろうか。
 この短文は、この本の中のわずか2頁に過ぎない。
 フェミニズムとジェンダーの論者の味は、むしろこのタイトルとは別の方面に発揮されているようにも見えた。切れ味の鋭い世評あるいは若者評は、その心理学専門家たる知識を活かして、凡人には見えない様々な切り口を提供してくれる。つまり、私たちの思考を鍛えてくれ、また新しい世界を垣間見せてくれる。
 とくに、今の学生風景は、その親の世代のあり方とともに、唸ってしまうような一時も与えられた。
 だが、最終章で、同じ著者なのだろうかと思わせるほどに、球がカーブしていく。すっかり占いの擁護にはまってしまうのだ。著者の趣味は姓名判断、つまり画数による占いなのだが、これのための短文が30頁ほどに渡って続いて終わるのである。
 ことに、占いこそ理性的であるとするあたり、思い入れを理論化しているかのように見え、冷静な分析で鋭く社会を斬る前半の著者とは別人のように感じられてならない。
 占いが、心理学的に安心材料などのために活用されるという程度の話なら、さもありなんというところだが、何かに取り憑かれたように占いこそ幸福云々と冗舌になる文の数々には、身震いを覚えるものであった。
 それとも、そもそも占いというものが、それほどにこの日本を覆っているということなのだろうか。それは、さらに怖いことである




Takapan
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