本

『ショーペンハウアー』

ホンとの本

『ショーペンハウアー』
梅田孝太
講談社現代新書2678
\800+
2022.9.

 講談社が新しく始めた。「100ページ新書」というふれこみだ。新書というと、だいたい200頁前後くらいで、ひとつのことを一通り教えてくれるという印象がある。しかし今の特に若い世代は、この200頁がしんどい。買ってもらえないのだ。概論と時代背景、それから現在への応用という三つの視点だけで思想家についてまとめる、というコンセプトで企画したこの「100ページ新書」の、最初に出された一冊がこれである。
 しかし、紹介されているのはこれくらいの者だ。実際に手に取ったのは図書館においてだ。すると、最初このことをすっかり忘れていた。それほどに、触っても分からなかった。何故だろう。そこそこ厚いではないか。
 気づいた。紙質が違うのである。明らかに厚い。手に持つと、200頁ものとの違いを覚えない。なるほど、だから価格もそう安くならないのか。
 体裁はともかく、内容はどうか。サブタイトルは「欲望にまみれた世界を生き抜く」となっている。百年前とは違い、ショーペンハウアーとは誰ぞ、というのが世間の空気であろう。しかし「デカンショ節」において、デカルトとカントと並び称されていた哲学者である。かつて日本の哲学青年は、こぞってこの人の著作を読んだ。そして、どこか不安定な世相の中で、なんぞ厭世的な部分のあるこの哲学者の生き方指南を、ありがたがったのかもしれない。
 いまではむしろ、反出生主義の走りのようなものとして受け止められることすらあるようだ。「生まれてこなかったほうがよかった」という思想は、現代を解くためのひとつのキーワードである。だが、ベネターやシオランがいかにその思想を唱えようと、早死にしたわけでは全然ない。ショーペンハウアーも、である。ただ、ここで気をつけておこう。自分は生きている価値がない、と思い悩む若者が、この「生まれてこなかったほうがよかった」という思想に触れたとき、ああそうだ、これは自分の気持ちを分かってくれる思想だ、と錯覚する可能性かせあるという危険性である。本書でも触れているように、この思想は、「死ねばよい」を導くためのものではない。「生まれてきてよかった」という考え方を世の中は肯定し、それを推奨する。すると、さして幸福ではない人にも、この考え方を押しつけることになる。君だって、生まれてきてよかったんだよね、と肩を叩かれる。それでまた辛くなる。この押しつけは正しいのか。本当に、生まれてきてよかったのだろうか。これを見当する余地があるのではないだろうか。こうしたところに、意味があるのだという。
 私はさらに言う。そもそも「生まれてこなかったほうがよかった」と言っているのは誰か。生きている当人である。心底そのようには思っていないから、まだ生きているのである。ある意味で、「そうじゃないんだよ」と、誰かに言ってほしいのである。
 さて、ショーペンハウアーといえば、意志の否定、そこに注目することができようかと思う。著者はそこをポイントとして、ショーペンハウアーの思想を読み解いていく。しかし、それを、生きることは苦しい、というだけで終えるのではないはずだ。欲望達成のために生きようとするような意志から、もっと自由であるべきではないか。ショーペンハウアーは、実は生真面目なのである。その思いは、仏教やインド哲学への関心によって、ますます強められていく。この、東洋思想を取り入れた人物としてのショーペンハウアーが、これまた日本の思想家や若者が親しみをもった理由の一つだとも言われて居る。
 また、当時の花形であったヘーゲルとの対抗意識も、背景にあると思われる。アイドル級に人気のヘーゲルの講義に対して、裏番組のように張り合って、相手にもされなかったということは、結果が分かっていたであろうに、やはり意地とでも言うべきものなのだろうか。世界精神が歴史の中に自己を実現していくなどという思想を、毛嫌いしていたに違いない。しかしこの説明の中で、ヘーゲルがコレラで死んでいたという文に出会い、昔に聞いたはずなのに、すっかり忘れていた。60歳そこそこで死んでいたのも、そのためだったのだ。そして、このコロナ禍になって思い知ったことでもあるが、疫病というのは怖いものだ。
 本書を辿っていると、ありきたりの欲望に身を任せて、それに操られて生きることに抵抗したいと思い、真理を追究したいと思った若者が、哲学することによって幸福を見出したい、と求めるとき、ショーペンハウアーは、確かに師となる人物ではないか、という気もしてくる。かなり圧縮した、シンプルな思想紹介である。それも、実のところショーペンハウアーが一番の専門ではない、という著者による紹介である。敢えて専門家を外して本書を任せたのは、もちろんショーペンハウアーには詳しいという側面があるにしても、その思想について知りたいと願う人が、何を鍵にすれば、理解しやすくなるだろうか、という点が、よく分かるからではないか、というふうにも思えた。
 メジャーであることが、当たり前のような世の中である。子ども番組に出る子どもは、皆良い子である。バラエティ番組では皆楽しそうにしている。すると、そうしなければ人間はダメであるかのような空気が世の中に作られていく。すると、それに適応できないタイプの人が、自分は生きていく価値がない、というふうにも思えてくる。いまならLGBTQの自分を呪い、自殺まで考えるという子どもがいる。そこに光をもたらす可能性があるのなら、ショーペンハウアーは、なお注目されてよい思想家ではないか、と私は本書を読んでいて感じ始めた。




Takapan
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