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『シュヴァイツァー選集7 文化と倫理』

ホンとの本

『シュヴァイツァー選集7 文化と倫理』
シュヴァイツァー
氷上英廣訳
白水社
\350
1962.5.

 古書店で見つけた。表紙が布張りなのは年代を感じさせる。小さい版だが、二段組みでぎっしりと文字が詰まっている。シュヴァイツァー選集といって、全8巻あるという。別巻もひとつあるが、著作としては8冊でよいだろう。最初に白黒写真が数枚あるところなど、昔の本はこうだったなぁと懐かしくも思った。
 ところで本巻には「文化と倫理」という著作だけが収められているが、これが有名な「生への畏敬」の概念を打ち出した本であったことで、私も読みたいと思ったのだった。「文化哲学」という大きな枠で構想した思想の一部として著されたものとなったが、その第二部としての位置を占めるものであるという。
 これが、実にここまでのヨーロッパ近代哲学を壮大な視野で見直し、批判する営みとなったことで、哲学史の学びのようにも読めるものとなった。もちろん、それはシュヴァイツァーの眼差しであり、解釈である。各哲学者への批判は、どこか割り引いて考えなければならなくなるであろう。
 そして最後に、生への畏敬の概念が、これでもか、というくらいに展開される。それを解きつつも、まだ十分に説明し尽くした感じはしない。これまでのヨーロッパ近代哲学を超克する概念として、シュヴァイツァーの信念でもあるだろう、その「生への畏敬」を以て、これまでの哲学と文名の弱さと拙さを克服して、新たな時代へ進んでいこうとする気概が伝わってくる。果たして、自分が批判した近代哲学の弱点を、この自分の提示した概念と思想が、ほんとうに克服しているのかどうか、さらなる検討が必要になるだろうが、生きとし生けるものへの眼差しと、それを尊重する考え方というものは、よくよく思えば、百年後の今、実に重大なものとして意識されるべき思想ではないかとハッとさせられた。もしかすると、いまこそ必要であったのだし、確かにいま尊重されている思想であると捉えることも可能ではないか、と思ったのである。その意味では、シュヴァイツァーの視線は、百年後を見ていた、と言うことも可能かもしれない。
 本書の概略については、訳者による「解説」を開けば問題なく見通せるだろう。読み解くために理解の必要な独特の概念がいくつかあり、たとえば「世界人生肯定」や「楽観論的-倫理的世界観」「献身の倫理」「生きようとする意志」などが挙げられている。しかしすうっと読みながらも、これらの語はちゃんと引っかかるように訳されているし、その意味についても盛んに説明がなされているため、さほど理解に苦労はしないと言えるだろう。ただシュヴァイツァー独特の使い回しだということであるだけだ。
 その後訳者はこの「解説」で、著者のいう「文化」が、一層「倫理的」であることを求められているということを強調する。これも、本書を読み辿ればだいたい自然に感じられる。果たして「倫理」とは何か、を議論する場面ではないため、シュヴァイツァーが言わんとするところを酌み取りながら読み進めるべきだが、もちろんこれが、最後の「生への畏敬」につながっていくことは、想像に難くない。つまり、本書はこの「生への畏敬」について説得したいがための、歴史的思想の批判であった、という構図だけを押さえておけばよいと思われるのである。
 ヨーロッパ近代哲学といえば、その背景にやはりキリスト教というものが構えている。しかし、シュヴァイツァーは、インドや中国の思想にも関心をもち、かなり思索している。宗教という角度から見ても同様である。それで、必ずしもヨーロッパという井戸の中ですべての世界が分かったようなものの言い方をしているわけではない。もちろん、さらにアフリカやオセアニアなども視野に入れていけばもっと徹底するのであろうが、そこは難しかったようである。アフリカで活動したシュヴァイツァーではあったが、そこでの文化的収穫は十分ではなかったということなのだろうか。一部には、白人中心主義を抜けきれなかったという限界も指摘されている。
 それにしても、本書のように哲学の分野においても一流の業績をなし、後半生を医学に献げるというような営みにしても、またバッハを得意としたそのオルガン演奏家としての腕と音楽研究といった分野でも、よくぞこれだけ優れた仕事ができたものだと驚く。いや、神学としても価値ある本が生まれている。
 高校の教科書にも載る「生への畏敬」という言葉だが、そのオリジナルな部分に触れた、というのが収穫だっただろうか。そしてそれは、十分な教養と実践に基づいた、私たちが受け継ぐべき課題としても、いまなお決して色褪せていないものだ、と感じる。学ぶところは多い。




Takapan
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