本

『現代思想2003 vol.31-14 サイード』

ホンとの本

『現代思想2003 vol.31-14 サイード』
青土社
\1238+
2003.11.

 エドワード・サイードについて私は愚かにも、近年までよく知らなかった。2003年9月に亡くなったのを受けて、急遽組まれた、「臨時増刊」号である。連載ものなど一切なく、まるまる一冊サイードである。
 パレスチナ系のアメリカ人として有名だが、それは文学という領域に留まらない、政治的な影響をもつ理論が大きなものだったからである。『オリエンタリズム』が名著だが、欧米人が勝手に東洋のイメージを決めていたことを指摘したものとして、ある意味でようやく出て来たか、というくらいの思想であったかもしれない。しかし、アーレントなどもそうだが、欧米人の常識めいたものを打ち破る、しかし当たり前のことを明言すると、欧米人は一斉にそれを叩こうとする。もちろん欧米人に限らないが、そこには一種の優越意識があるから、自分たちが世界を導くとか、文化のリーダーであるとか、潜在的にでもそうしたものが、何かあると出てくるものである。
 アメリカに移住したからにはパレスチナの地に住んではいないのだが、パレスチナ人との権利を獲得し、パレスチナ問題と深い関わりをもつようになる。そもそも生まれはエルサレムである。しかし政情からそこへは戻れなくなっていく。
 サイードの思想の深いところについては、私も説明できる自信がない。そしてそれを説明するのが、本書の紹介であるとは思えないため、容赦願おうかと思う。
 サイードの文章も少し掲載され、それがパレスチナへの帰還の論理を問うものなので、本誌全体も、その方面を色濃く出してくるようになっている。様々なファンや影響を受けた知識人が、それぞれの思いからサイードを悼みつつ、何らかのテーマで文章を寄せている。愛されていたのだなあと強く感じる。
 それにしても、死の三年前のスキャンダラスな写真が、本書でも何度か話題になっていた。イスラエルの軍検問所に向けて投石するサイードの姿がスクープされ、全世界に公開されたのだ。投石ということの意味が分からない方もいるかもしれないが、投石というのは、庶民にとっての最強の武器である。それはいまも同じだが、聖書を知る方は、ダビデが巨人ゴリアトを倒したのが投石であったということを思い起こすことができるだろう。この件についても自身、とぼけたとまでは言わないが、声を載せているし、他の人もサイードの行動として光を立てて述べていることがある。しかし思想を口で言うだけでなく、どう行動したかという意味では、石を投げるかどうかは別として、こうした実践にひとつ敬意を示す必要があるような気がする。自分が唱えるように生きないで、何が哲学であり、何が文学であろうか。
 このとき、サイードはすでに白血病に冒されていたという。命の限りを意識したときに、行動に移すことはある意味で必然である。いましなければ、もうできない。私たちに、そのような思いが果たしてあるのかどうか、その写真から問われるような気がする。
 20世紀最後の20年余り、その時代の世界情勢とパレスチナを巡る動き、西洋と東洋との関係などについて新たな風穴をあけた思想とひとの生き方について何かを述べるならば、外すことのできない人物だったのだ。私が如何にそうしたことに無関心であったか、ということを思い知らされる。自分の居場所を奪われる思いということについて、私はあまりに呑気で無知であったということである。




Takapan
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