『「ルツ記」を読む<パン・家族・土地>』
カルロス・メステルス
佐々木治夫訳
聖母文庫
\500+
2009.10.
古書店に入ると、思いもよらない面白いものに出会うことがある。確かに、カトリックの文庫には、魅力的なものが多々ある。「聖母の騎士社」は、九州に住むクリスチャンとしてはおなじみのものであり、またそうでなくてもコルベ神父という名前を知らないクリスチャンはおるまい。
この500円の文庫はその後幾らになっているか知らないが、同じ価格で多くの文庫が出されていて、私は好きである。かといって、どこの書店にもあるわけではなく、街中の大きな書店には滅多に行けないために、そうそう読むものではなかった。こういうのは、実際に手に取って中をぱらぱらと見てみなければ、Amazonでなんでもポチるようなことはしたくないものである。
さて、本書は「ルツ記」を辿る内容である。文字が大きく、解説も丁寧で、図版も少しある。読みやすいと言えるが、本書の特徴は、これが学習用である、ということだ。
著者は、カルロス・メステレスというブラジルの神父である。聖書学者であり、著作の多い神学者であるようだ。
他の著作がどういうものであるのかは知らないが、少なくとも本書に限っていえば、ルツ記を「読む」とあるから、これはワークブックのような構成を敢えて考慮してつくられた本であるのではないかと思う。
ルツ記を順に細かく区切ったその一つの項目が終わる辺りで、質問が並べられている。要するに「問題」である。その解答は、本書のどこにも掲載されていない。だから読者自身が、あるいは読者が何人かでグループを作り、グループ学習をする上で、共に考える問題集ということになっているのだ。それは【演習】とか【これらのことが、今日のわたしたちの歩みで考えさせること】というような見出しと共に、幾つかの問いが並べられているのである。
なるほど、「今日のわたしたち」という設定がいい。「今日」を「こんにち」と読むのか「きょう」と読むのか、それは決められていないが、そこもまた巧みである。「こんにち」と読むと、聖書時代の物語が、現代にどう関わるか、という問題意識を伴うものとなる。「きょう」と読めば、まさに私たちが今日この日にルツ記が生かされる場面があったかどうかを、リアルに考えることとなる。より切迫した形で、他人事ではない問題として、ルツ記の出来事が結びついてくることになるわけである。
こうして最後まで、ルツ記を通して、私たちは自分の問題として聖書と向き合うことになる。グループでの学習会として、週に一度としても、2か月余り、学び続けることができるだろう。
著者はブラジルを拠点にしているというが、本書を開くと最初の頁にいきなり、訳者による「はじめに」の冒頭として、「ブラジルの教会は社会の不正に対して戦う教会です」という文が置かれている。「信仰は頭やこころの中だけのものでなく、実行が伴うものでなければならないからです」と続き、さらに「この本はルツの戦いと勝利を告げています」と述べている。
それから、「共同体で読まれるようにお勧め致します」とも書いている。
こうくると、私たちはもう自分の問題としてしか考えなくなってくるが、頁をめくると、またこのような文が現れる。「ブラジルには政治家や司法界の腐敗や不正が一杯です」と。そうだった。社会問題との関わりが、強調されるということは、カトリックにとってはどうなのだろうか。「解放の神学」というように、社会との関わりを強くもつのは、カトリック教会にとっては、プロテスタント教会の者が思うよりも大きな位置を占めることではないか、という気がする。
やはりこれも訳者による「あとがき」であるが、そこでは、「ブラジルの一般大衆向けに、優しく簡潔な文章で書かれていることから、日本の信者には易しすぎるかもしれません。これは福音書の易しさに通じるものでしょう」と書かれている。「易しく、物足りないような印象を与えるかもしれませんが」というように、訳者はえらく「易しい」としているが、私は決してそうは思わない。言葉や表現が易しいことは認める。しかしそれは、たとえば日本では山室軍平の本が、平易な言葉で綴られているというのと比較できるかもしれない、と思う。貧しい中に生まれ育った山室は、誰にも福音を届けたいという一心で、かの大ベストセラーを世に向けたのであった。
この「あとがき」でも、「是非、皆さまの共同体で読み、話し合いをしてください」と繰り返している。プロテスタント教会でも、そういう機会をもっては如何だろうか。利用した教会があったら、知らせて戴きたい。

た
か
ぱ
ん
ワ
イ
ド