本

『古代ローマ人の24時間』

ホンとの本

『古代ローマ人の24時間』
アルベルト・アンジェラ
関口英子訳
河出書房新社
\2520
2010.7.

 よみがえる帝都ローマの民衆生活。
 このサブタイトルが魅力的である。イタリアの科学ジャーナリストの手によるこの本は、これまでどこにも見られなかったような魅力を備えている。
 歴史が好きな人は多いが、えてして、権力者の歴史物語に終始する。でなければ、特定の文化人の生き方や作品といったところであろうか。そもそも歴史というものは、客観的な事実ではなくて、為政者がつくるものだと私は考える。だから古来、自分の名誉を遺すために、敵側の歴史をつぶして自分の手による歴史を遺そうと躍起にもなった。王や支配者は時間をも支配することができると思い上がり、時代に王や大王の名を付して時を刻むように命じた。後の世にそれが通用しないことなど思いもよらないのだ。
 いったい、権力者とその周辺などではなく、名もなく、しかしその権力者の食べ物や着物などを支えていた無数の庶民は、どんな生活をしていたのか、歴史の中にはそんなことは殆ど描かれない。生活史というジャンルで研究する人もいるけれども、それでもごくごく一般の庶民の生活を追究していく場合は稀である。
 だが、様々な思想を理解していく中で、王侯貴族だけではない一般の人々の姿というものが、私にはどうしても気になる。そして権力者であっても、そうした庶民の生活があるが故にこそ存在したのであろうし、彼らの生活を支える必要があったからこその為政者であったはずである。ただ威張っていたわけではない。平和に国内を治めることなしには、権力も何もないのである。
 ローマ帝国が興味深いのは、この本の中では、現代のイタリア人の生活と比べて、という視点が多いように見受けられる。それは制作と出版の事情からも当然であろうと思われる。だが、後のヨーロッパ、そしてアメリカも含めて西洋文明の背後に、根底に、何があったかを教えてくれるからではなかろうか。さらにまた、ローマ帝国の支配の中でこそ、キリスト教は芽生え、迫害の中にも消えずに広まり、ついにはこの帝国をキリストの支配の下に導いていったことになる。新約聖書でさかんに描かれている異邦人の問題は、当時はギリシア人として類別されているけれども、しばしばそれはローマ帝国の人間、あるいはローマ市民として認識されており、ローマの制度の中で事が動いている。それは交通網の整備や建築物における先進性もさることながら、ローマ法という法律の徹底があったために、法的な営みとしても、たとえばイエスの十字架は探求される可能性を有している。無秩序な世界でただ殺されたのではなく、法的な手続きの中で法的に、あるいはそれがユダヤ的には律法という形態をとるために余計に、十字架刑の意味というものが深く考察されうるようになるのである。
 一日とあるので、朝夜明け前のローマの風景から始まる。それから、そのローマ世界にドラえもんのように入り込んだ、たんなる視点だけであるかのような著者が、人々の視点から、そこに見えるもの、出会う出来事をレポートしていく。見るもの聞くものをすべてここに報告していくという形式でローマを描いている。奴隷とはどういうことなのか、当時の世界の常識が私たち現代人とはどう違うのか、食事や服装、一日のサイクルなど、徹底してその生活レベルの解説に没頭している。その中で、私たちがちょっと知った顔で、彼らはテーブルなど使わずに寝そべって食べていた、などと言ってしまう愚かさにも釘を刺す。宴はそうかもしれないが、通常は椅子とテーブルがあったというのだ。その他、識字率が高かったであろうことや、処刑や残虐な見世物のありさま、食事内容やサロンとしての浴場、性の常識など、あらゆる生活の要素が盛り込まれている。聖書のわずかな言及から、ローマ人の性が如何に歪んでいたか、と語る人がいるが、えてして間違っている。現代のほうが、いかにローマ人たちよりも歪み無法になっているか、厳しく指摘されている。神々からの贈り物としての性を喜び受ける考え方はあっても、無法に何でもしてよいわけではなかったというのである。
 そこには、法的な支配があった。しかも、法さえ守ればどうでもよい、ということでもなかったことだろう。そのような秩序がなければ、広大な帝国を長きにわたって保持することはできないことだろう。
 歴史が、支配者の行動観察だけで終わるのは寂しい。生きてきた無数の庶民を理解することなしには、支配者たちの考えもまた、本当には理解できないことだろう。それを知るためには、資料があまりにも少ないのが現実であるが、私たちは、将軍や武将、天皇や貴族や総理大臣といった程度の題材からのみ日本史を理解するのではなく、風俗や風習も含めて、庶民の生活史を発掘していく気構えをもつことなしには、この日本に定着する霊的なものを見破ることもできないことだろう。




Takapan
ホンとの本にもどります たかぱんワイドのトップページにもどります