本

『宗教改革』

ホンとの本

『宗教改革』
オリヴィエ・クリスタン
佐伯晴郎監修
創元社・知の再発見双書75SC
\1470
1998.5

 カラーの写真や資料がふんだんに交えてある、実に読み応えのある解説なのだが、サイズが小さいので持ち運びつつ読む楽しみがある。
 私はプロテスタント教会に属しているから、宗教改革はいわば原点であるとも言える。しかし、考えてみれば、学校でちょろっと学ぶ程度の知識しか案外持ち合わせていないということに気づく。ルターの著作を読むにも全部というわけにゆかないので、部分的にこうなんだと知る程度だし、ことに農民戦争のようにルターの行動に疑問をはさむことがあったとしても、その詳細にまで立ち入ることは、研究者でもなければなかなかできないものである。さらに言えば、宗教改革の反対者の立場からルターを見るとどうなるのか、という点も、知る必要があるのに、案外知ることを避けている感がある。
 宗教改革とは何だったのか。それは、もちろん簡単に片付けられるものではないが、いろいろな面があったこと、様々な事実というものを踏まえておくことは、きっと必要である。そこで、この本は実に分かりやすく説明してくれる。
 それにしても、実におぞましい描写もある。カトリックとプロテスタントとの憎しみ合いは、たんに悪口を言い合うどころの騒ぎではない。現在のイスラム原理主義者たちでさえ思いもよらないような強硬な態度で、私たちが今ならとてもやらないような残虐な殺戮を繰り返す。共に自らが神の正義を得ているという前提で、対立する相手を敵対者として悪魔呼ばわりして、殺害を正当化していく。どちらが一方的に、というものではない。どちらも平然とやるのだ。
 目を背けたくなる。こんなことがあってはならない、と思いたい。だが、それは現実に起こったことである。現在でも、人権とか世界平和とかいう合い言葉がもしなければ、いつでも簡単に起こりそうなことである。いや、実際世界の中では現にこのようなことが行われている地域もある。
 まことに、どうして一つの同じ神を信じる者が殺し合うのか、と嘆きたくなる。これは、一神教だからだ、と得意気に話す輩もこの国にはいるのだが、そうではない。せいぜい理由を付すならば、それが人間だからだ。人間には、こうしたことをする性質が元来あるのだ。
 いかに残虐か。いかに自己中心か。しかし、それを単純に責めることはできない。当時の状況の中では、そうせざるをえなかったことだろう。私がその中にいて、それに刃向かえるものではなかったことだろう。そうなってしまう人間の愚かさなのか、いっそ簡単に言うと「罪」であるのか。
 嘔気さえ及んでくるような、読むときの感覚。だが、目を背けることなく、最後まで読み切って戴きたい。自分は無関係である、とは思えなくなる。また、そうでなければならない。私もまた、これとは無関係ではないのだ。およそキリスト教を信仰していない人も、自分はこれとは違う、とは、きっと言えないのだ。
 それはそうと、宗教改革というもの、多くの人の血を流して得られた現代の世界である。キリストの血は万人の罪を贖うものであったが、その背後にもまた、無数の人の血が流されて、今の私たちがいるということを、努々忘れてはならないであろう。




Takapan
ホンとの本にもどります たかぱんワイドのトップページにもどります