本

『詩篇選釋』

ホンとの本

『詩篇選釋』
淺野順一
新教出版社
\800
1962.6.

 また古い本を見つけ出してしまったものだ。もちろん古書店である。立派な想定で、この価格は当時としてはたいそう高価であったことかと思う。大卒初任給が17,800円であったという資料を見たから、月給の1/20ほどである。
 著者は、英独に学び聖書学者として、また青山学院大学教授としての活躍をされつつ牧会を続けた後、開拓伝道の初心に戻ったという方で、尊敬を集めている。本書はちょうどその頃に出版されている。誠実な姿勢が著書からも窺え、また信仰を傾けつつも世界の研究の成果をよく取り入れ、根拠ある解説をしようと努めている。
 この詩篇についての解説にしても、多くのタイトルにある「ダビデによる」を、ダビデが書いたとする理由はなく、しかしそれでもなお人間の真実を告げる誠実な詩であるとして解説を加えることが多い。妥当な説明であろう。著者の人生観と聖書観が感じられ、またそれが読者にも伝わってくる。
 そもそも詩篇は、神の側からの声というよりも、人の側からの神への信仰を、あるいは時に人の哀しみや辛さ、そしてまた敵への恨みのようなものも表現していて、親しみやすい書であることは確かである。しかし、そこに神と人との交流を覚え、また自分の祈りとして重ねていくことは、古来信仰者が経験してきた読み方であるとも思われる。
 本書は、150の詩をすべて網羅することはできないが、多くの詩を丁寧に辿り、またそれを味わうことにより、そして自分の人生につなぐことにより、活きた言葉として読み、唱えることへと誘う。健全な詩篇講読であると理解する。時折その詩篇に関する短い説教も掲載され、立ち止まって深まる思いを共有することもできて、なかなか心地よい。
 これから日々の生活を生きていこうとするときの助けになることだろう。こうした、丁寧な解釈に基づく励ましは力になる。情緒的な理解に留まらない。そこには神学や聖書学を経た人がもつ重厚な確信がある。もちろん、詩人的な直感で聖書を見てはいけない、などとは思わない。インスピレーション豊かな聖書の理解は、その人を生き生きとすることだろう。ただ如何せん、それだけであっては、その人にとってはその聖書の言葉がそのように生き働くのは事実であるとしても、周囲の人にもその通りだと思わせるには弱い。神は個人的に語りかけるのであろうから、その人にはよいのだが、隣り人に対して、この詩はこういう意味だということをつなぐことは難しい。しかし本書のように、学的に裏付けされた説明であれば、一定の共有点を人々の間でもつことが可能となる。一人ひとりの受け止め方や活かし方は様々であっても、一定のテクスト理解は共有することができるということである。そうした一つの土台として、詩篇に限ったこのような研究、そして一般啓蒙とも言える奨励は、信仰者の力になるものであろうと思われる。
 復刊は難しいだろうか。すでに時代遅れなのだろうか。完全な旧字体は現代の若い人々には辛いだろうから、現代の字に直す作業も伴うので、現実には難しいことだろうが、触れる機会があれば、黙想のために用いるのも悪くないと思うところである。




Takapan
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