『哲学はこんなふうに』
アンドレ・コント=スポンヴィル
木田元・小須田健・コリーヌ・カンタン訳
河出文庫
\900+
2022.12.
フランス語の原題の意味は、「哲学のプレゼンテーション」といったところだという。邦題はなかなか粋なものかもしれない。2000年に発行され、その2年後に邦訳が一度出ている。その20年後に文庫化されたことで、より広く知られることになったであろうか。
哲学史を辿るというのも一つの説き方ではあるだろうが、本書のスタンスは、テーマ毎である。私たち現代人が、ふと何かを疑問に思ったとする。あるテーマが心に浮かび、自分なりの見解をもったとする。だが待てよ。それはただの自分の思い込みではないだろうか。別の人はどのように考えているのだろう。どのような視点が他にあるのか、という点を気にすることがある。ただの自己満足ではないために、である。あるいはまた、自分が考えても解決には程遠く、考えが浮かばない、まとまらない、そういうとき、誰かのアドバイスを受けたいと思うこともあるだろう。哲学者たちはどう考えているのか。それを、哲学史を辿りながら、誰かこのことについて考えていないか、また他の人はどう考えているのか、それを探すというのは、適切な方法ではないだろう。
「訳者あとがき」から先んずるが、「哲学するとは自分で考えること」ではあるのだが、それをうまくやるには訓練が必要であり、やはり「過去の偉大な哲学者たちの思想」の助けを借りるのが手っとりばやい。そういう考えから、「市民の日常生活に役だつ哲学を提唱しつづけ」ているのだという。
そして「哲学とはなにか」と問われたときには、こう答えているという。哲学とは「生きることを主題とし、理性を手段とし、幸福を目標としていとなまれるひとつの言語的実践」であり、「幸福と真理への愛」であり、哲学するとは「自分の人生を考え、その考えにしたがって生きることだ」と。
もうこれで十分であろう。私が横から口出しする必要もない。本書は、そういうスタンスで書かれている。そういう求めに何か良さを感じたら、お読みになるがいい。それだけである。
だがそれでは、本書の魅力をまだ紹介したことにはならない。選ばれたテーマを並べても妨げにはなるまい。12の章の題をそのまま記すと、「道徳・政治・愛・死・認識・自由・神・無神論・芸術・時間・人間・叡智」となっている。特別に深い意味や関係を伴って順序が決められたようには見えないが、比較的私たちができるだけ具体的に遭遇する問題から入って、次第に形而上的なものへと進んでゆくようにも見える。人が問題意識を覚える入口に合わせているような気がする。
だが、そうなると芸術がかなり抽象度の高い場面に置かれていることになるが、「孤独を普遍に、主観性を客観性に、自発性を訓練に溶けこませる者」こそ芸術家である、という捉え方があるなら、それも分からないでもない。つまり、「哲学とは理性の芸術」である、という信念が著者にはあるということだ。芸術には一つの「真理」が控えており、「人間は芸術のいとなみのひとつなのだ」というように、問いの核心である「人間とは何か」へと迫る道の一つであると思われるのである。
著者は、自ら「無神論者」であることを公言しており、だからいっそう、「哲学」という「理性」の冒険を公平にもたらすように綴られることになっているのかもしれない。最初のテーマが道徳であったのもそうだが、議論の随所でカントをひとつの基盤に置いているように見える。そもそも人間における根源的な四つの問いは、その後の哲学の問いにおいてずっと何らかの基準に、あるいは指針になってきたのであり、本書も影響を受けているように見える。
数多くの哲学者の説を駆使して読者を惑わすことは本意ではなく、いくらかの哲学者の名前が出てはくるが、要点を押さえるためであるように見える。つねに議論が先行し、改めて振り返ると、一つひとつの項目が、知的なエッセイのように見えてくる。論理を定めようとしているのではなく、読者に、人生の指針の例を掲げるのも悪くない、というような態度だとは言えないだろうか。執筆時で48歳ほどの哲学者である。溌剌とした思考と人間味ある対応が、スムーズに流れ出るような年齢であったのかもしれない。
そして最後が「叡智」で飾られる。その結末が、やはり刺さってくる。「ぼくたちに必要なのは、生きる術を学び、考える術を学び、愛する術を学ぶことだ」と言い、「この作業に終わりはない」から、「いつまでも哲学を必要としている」のだ。結びの一文は、「真理は道の終わりにあるのではなく、この道そのものだ」となっている。
本書の別の側面は、その資料性である。本文が200頁ほどだが、巻末の約50頁が資料である。とはいえ、著者は注釈を入れず、ただ読み物として味わってくれたらよいという立場であるようだ。確かにこれはエッセイなのだ。しかし、道標は与えてくれている。邦訳で読みやすい本もたくさんあることがここから分かる。章毎に、そのテーマに見合った本の名前が見える。まずは、原典がそのように並んでおり、哲学者の著作の訳書そのものである。そして次に、「入門書」のコーナーもある。但しここはフランス語系が多く、丁寧に知らせてあるが、入手しづらいものや、ハードルの高いものが少なくないように私には見えた。
また、訳者の判断で、「日本の読者のための入門書案内」が加えられているのは、親切である。やや定番過ぎるきらいはあり、少しばかり昔のものかな、とも思えるが、オーソドックスなところが紹介されているように見える。
本書の最後には、「人名索引」がある。これがあってこその哲学案内であるだろう。きちんとこれが設けられているところに、本書の制作の誠意を覚える。当たり前のことだと言われるかもしれないが、最近、これのない本が多いのだ。
というわけで、また繰り返し開いて、何かが気になる毎に、味わうことのできる思考案内であることは間違いない。文庫になり、持ち歩きやすくなったことも大きい。もっと早く文庫化すればよかったのに、とも思う。

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か
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