本

『フィリピの信徒への手紙 INTERPRETATION87』

ホンとの本

『フィリピの信徒への手紙 INTERPRETATION87』
聖公会出版
\2000+
2014.12.

 新古書として安く売られていることがあるため、こうしてバックナンバーを入手することができる。充実した内容であるだけに、日本語版が続けられなくなったことを残念に思う。
 本書は、フィリピ書に集中した内容と、毎号掲載される小さな説教準備になる釈義と、新刊書の書評から成るが、テーマとしては比較的小さな話題であるように見える。「安息日」とか「赦しと和解」とかいう大きな視野から成る特集も多いのに、聖書の中の一書、しかも短いものだけで、一冊が成立するのだろうか。
 ところがこれがどうしてどうして、楽しめるのである。パウロの書簡の中でも小さな部類である。神学的にも普通は他の大きなものが取り上げられる。しかし、フィリピ書の中には、愛すべき聖句がある。喜べと繰り返すところは、多くの信徒の心の支えになっていることだろう。獄中書簡と言われ、苦難の最中にあるパウロが、喜びを絶やすなということを、アドバイスするばかりでなく確かに自身も喜んでいるという中で綴られているこの書簡は、このように心惹かれる言葉を多く含むばかりでなく、神学的にも、倫理的にも、豊かな実りをもたらすものであるのだ。
 特に有名なフレーズとして、「キリスト賛歌」と呼ばれる譜ぬ゛ぶんがある。本書もまずこれについての検討がトップを飾る。それからこの書簡に、現実的な視点、政治的な論理が通っていることを明らかにしようとする意欲作が続き、喜びと苦しみとの対比を、特に死を見つめつつ考察する論考が紹介される。
 友情というキーワードを、ヨハネとパウロとの比較を通じて深く考えていくものは快く響いた。パウロの手紙の中には、友情に関する言葉がないように感じられる。だがいかにもの友情の語は出さないにしろ、パウロの精神の中に友に対する愛が深く読みとれるというのである。その鍵は「和解」という語に見出されるという。神の救いの神学の中におけるのはもちろんだが、そしてもちろんそれが根底にあるのであるが、人と人とのつながりの中に、これを見つめているパウロに注目し、ぜひ私たちの教会生活に活かすべきだと言えるだろう。
 イエス・キリストは主である。私たちの信仰告白の基本であるが、これを当時口にするということは、極めて大胆なものであることに気づかせてくれるのが、特集の最後を飾る論考である。命を懸けたこの告白は、脆弱なキリスト教徒たちに向けて語られた説教によりもたらされた。それが時を超えて、キリスト教が主役でありえなくなった時代の私たちの現代へ、説教として再び語られている。それは、どこか似た構造ではないかということで、いまこの書簡をひとつの説教として捉え直すことが大切であろうと提言する。実際、こうして残された書簡というのは、その地域の教会に回されて輪読されたであろうことが確実である。となれば、これはパウロの説教そのものなのではあるまいか。手紙とは説教である。共同体を築き上げ、心ひとつにしていく私たちの願いが、このフィリピ書からもたらされるとすれば、嬉しいことではないだろうか。
 小さな書簡であるだけに、一読して見渡すことも可能である。しかし、多様な見方を可能にし、現代に活かすという意味でも重要視することが望ましい。説教が神の言葉であると捉える見方もいまは強いが、まさに神の言葉そのものであるパウロ書簡を、神からの言葉として受け止める信仰を、呼び起こされる論文が集められているように私は感じている。




Takapan
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