本

『哲学な日々』

ホンとの本

『哲学な日々』
野矢茂樹/講談社/\1350+/2015.10.

 西日本新聞を購読しているので、かつて連載されていることは知っていた。真面目に読んで来なかったことを悔やむが、なかなか粋な文章が揃っている。新聞に50回にわたり連載された、哲学コラムが本書の前半である。2015年春のことであった。後半は、10年前後の期間に、広報誌などに寄せた文章と、他の著者の文庫のための解説の部分が集められている。その意味では、比較的短い文章を集めたといった感が強い。  題名の「哲学な」は破格である。「哲学だ」という形容動詞に見立てているのだろう。哲学が、よりダイナミックに働くものだという意識を示すように私は感じたが、どうなのだろうか。  副題に「考えさせない時代に抗して」とある。「考える」というのはどういうことか、特に西日本新聞コラムのほうは、明らかに一般の人々の目に触れるものであるから、飾らずにラフな、それでいてやはり哲学の眼差しというものはどういうものか、楽しく伝えるものとなっているように見受けられる。  ウィトゲンシュタインをはじめ、論理哲学の方面の専門であるといえるだろうから、著者の頭脳は、論理を刻むことに長けているはずである。だが、なかなか気さくで、親しみやすい文章が並んでいるので、読者にも馴染みやすいのではないだろうか。但し、師である大森荘蔵に関するあたりの少し長い文章は、やはり哲学の理解を前提としたものであるために、骨太であると言えるだろう。  哲学史の研究や、哲学者の思想についての研究、それを哲学と呼ぶことを、著者はもちろん否定はしない。だが、それだけではないことを強調する。自ら「考える」ことへと導かれてこその、哲学の意義というものを、なんとか伝えようとしているように思われる。その辺りは、さすがその副題の通りである。  出典が様々であるから、時折重なった情報が現れる。特に、高校生の辺りでの自分の学びや将来への視野など、文系と理系の交錯した歩みは、私個人にもあったことなので、親しみを感じるが、それでも東大に入学したくらいであるから、本人が勉強について控えめに言っているのとは裏腹に、やはり相当に頭脳明晰であったことは間違いない。その上で文章も光っているから、まことに羨ましい限りである。  論理的とはどういうことか、つまり言葉と言葉をつなぐ働きについて目を向けさせてくれるなど、分かりやすく教えてくれるのは、新聞という場でできる最高の仕事ではないか、とも感じるし、学問の場で大切なことは何かということにも、さらりと触れてあるのを見ると、いろいろな立場の人それぞれに「考える」ヒントを提供することになっているものだとありがたく思う。  だがまた、国語教育については、その後重んじられるようになった論理的な読解ということを重んじている様子も伝わってくる。立場の上ではそうだろうと思う。それでよいだろう。だから、本書で文学的な、感情的情緒的な読解のことが扱われていないというのは、指摘しても仕方のない方面であろうかと思う。  それでも、様々なフィールドで書かれてあることの中で、座禅など仏教的なものをありがたがっていたり、自然とありがたいものに手を合わせるような心が、何の検討もなしに肯定されて述べられているのを見ると、思考や論理を勧めている中で、違和感を覚えてしまうのだ。  私がまだキリストと出会う前、哲学を志して大学に入ったとき、野を歩いていて京都の道に地蔵が並んでいるという情況があった。哲学科の院生たちと一緒だったが、私は自然と、その地蔵に手を合わせていた。すると院生が、そんな私を見て、いま君のことがなんだか分かったような気がした、と叫んだ。私はピンとこなかったが、口で論理とか哲学とか言っておきながら、精神は素朴に無反省のまま、日本的宗教風土の染め上げられただけのものだということを指摘したように、後に思った。  そのことを、本書を読んでいて、思うのだった。論理哲学の猛者が、特に信心があるわけではないと言いつつも、魂は尊いとされるものに自然に手を合わせており、そのことを検討する様子が全くないのである。恰も、それは当たり前のことではないか、と言いたげに。  中島義道の本の解説に、死を恐れることや人生に意味はないと叫ぶ中島氏について、解説者としていろいろ述べるのはもちろんよいことなのであるが、少なくとも中島氏のハートの部分は理解していないように私には見えた。繰り返すが、解説者の意見を書いてよいのである。ただ、中島氏の切ない心の奥は、私には、その文章に十分現れていると感じているけれども、野矢氏にはそれが見えていないように思えて仕方がなかったのだ。  こういうあたりが、先の「手を合わせる」あたりと、何かつながりがあるように私には感じられるが、あいにくそれを論理的に説明するだけの力量に欠けている者であるだけに、ここで適切に述べることはできない。  それはそれとして、後半にある「「哲学者になりたいかも」などと考えている高校生の為に」は、若い人にもなかなか参考になるものではないかと捉えている。ただ、高校生はきついかもしれない。大学生でちょうどよいように思えたのだが、さて、高校生諸君は、どのように感じるだろうか。当事者は、なかなかここまでの風景は見えてこないだろうと感じたのであるが、失礼だっただろうか。




Takapan
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