本

『哲学と宗教全史』

ホンとの本

『哲学と宗教全史』
出口治明
ダイヤモンド社
\2400+
2019.8.

 気になっていた。大きな本だ。しかもタイトルが、大きく構えている。
 著者の名前くらいは聞いたことがある。ビジネス関係だと思っていたし、啓発書の人かしらという印象を勝手にもっていた。少し調べると、読書量が多く、博学の人であるようにも見えた。
 だから、これらは大学で学問として研究した内容ではない。専門家とは言えないが、教養書についてはずいぶんと幅広く知っている、という人である。
 そして、発行がダイヤモンド社。やはりこれはビジネスパーソンをターゲットにした本なのか。その点、「はじめに」と「おわりに」にも、ちゃんとその点が明記してあり、間違いはない。哲学を専門に学ぶ学生や研究者のための本ではない。まるで知らない素人さんに、しかし国際的にビジネスに携わる関係があれば特に、知らないでは付き合えないであろう教養として、西洋哲学と大きな宗教についての通り一遍の知識を提供しよう、という目論見であるらしい。
 それにしては、460頁を超えたA5サイズの、どうどうとしたハードカバーである。ただ、そういう用途であるだけあって、価格は同時代としては破格の安さである。実際、1頁辺りの文字数も大きく読みやすいため、情報量がそれほどまでにあるかどうかは分からない。イラスト入りの年表が各章にもあり、パワーポイントでの整理に慣れている人には、馴染みやすいデザインが含まれている。本の内部にも、資料写真や図表がいろいろ載せられていて、ビジネスパーソンには見やすいことだろう。
 さて、語りは客観的というよりも、著者が物語るという雰囲気が強く、自分がどう思うか、自分はどのように関心をもっているかなど、恰も講演会の話し口調のように、しかも敬体で綴られている。これはやはり長い長い講演会という代物であるだろう。
 確かにここには、教養人に相応しいものが並べられていると思う。一人の思想を述べた後に少々推薦される図書は、多くは岩波文庫であり、新しいものはちくまや光文社の新訳が多い。著者自身が読み漁った世界の名著シリーズや岩波講座の哲学もある。この二つは、巻末の参考資料に、まるごとその全部が掲げられてもいた。
 私よりはだいぶ上の年代ではあるのだが、私もどちらかというと古くさい文庫を古書店で手に入れていた方だから、学生のときにとりあえず手に入れたその本ズバリが挙げられていることがよくあった。つまりは、大学生にちょうどよい、という参考図書である。そのため、大学のいわゆる教養課程で語られるような内容である、と言っておけば適切であるのではないか、と感じる。
 さて、タイトルには「哲学と宗教」とあるが、実質西洋哲学と言ってよい。否、東洋思想も一部やけに詳しいところがあるが、概して高校の「倫理」の思想部門に匹敵すると言えよう。但し、ここに日本の思想は入っていない。鎌倉仏教はときに一部が比較のために出されるが、詳しくは論じられず、江戸時代や明治期以降も、日本人の名前は殆ど出てこない。高校倫理と比べると、その点足りないし、心理学や教育学も含まれていない。至ってオーソドックスな、私より上の世代が「哲学」とか「宗教」とかいう言葉で思い浮かべるような内容だと見ても構わないだろうと思う。
 そこで、扱われて範囲をここに、その頁数と共に挙げてみよう。
 一般的に宗教の発生らしいものに触れたのがまず30頁。ここからすでに、「現代の脳科学では」という参照フレーズが出てくる。実に本書全体にわたり、現代科学で分かっていること、脳科学が解明したこと、それを基準に過去の思想を評価する視点が支配している。従って、本書には科学哲学の紹介はない。
 続いてゾロアスター教だけで12頁、ソクラテス以前の哲学が12頁。ソクラテスからアリストテレスまでが38頁、孔子と墨子、ブッダとマハーヴィーラ(ジャイナ教)が30頁である。こうして見ると、ゾロアスター教やジャイナ教といった、著者自身の関心の深いものが、通常の宗教史より大きく扱われているのが分かる。
 ヘレニズム期が22頁だが、これは著者かストア派が好きなせいであろう。中国の諸子百家が26頁。古代ギリシア哲学に匹敵する量である。
 次はユニークなので、タイトルを紹介する。「ヘレニズム時代に旧約聖書が完成して、ユダヤ教が始まった」が10頁、但しその半分は仏典結集のことがあり、タイトルと合わない。「ギリシア王が仏教徒になった? ヘレニズム時代を象徴する『ミリンダ王の問い』」が4頁だが、大きな項目として掲げられている。
 それから新約聖書と教会の東西分裂まで、そして大乗仏教を含めてアウグスティヌスにちらりと触れる章が32頁。三位一体説の奇妙さが強調される。
 イスラーム教関係が48頁。但しギリシア哲学を取り入れたことを含み、トマス・アクィナスがちらりと紹介されているのを含む。
 密教と朱子学や陽明学が16頁挟まれた後、ルネサンスと宗教改革と近代哲学の大陸合理論や経験論が一緒くたにされて57頁。因みに宗教改革は、その社会的な意義だけをたっぷりと述べて、そのうちせいぜい12頁である。
 経験論と合理論を統合しようとした、という高校生の教科書のような書き方でカントを、そして次はヘーゲルを、そして駆け足でベンサム、ミル、ショーペンハウエルを紹介するのが44頁。これを著者は「世界史の大きな転換期」と示す。
 次がなかなかユニークで、ヘーゲルの長男がキルケゴール、次男がマルクス、三男がニーチェだとして、三者三様にヘーゲルから派生した、として33頁を使う。但しそこにはちらりとフロイトも顔を出す。
 最後に、28頁を使って、20世紀の哲学者を5人挙げる。どうして5人でなければならないのかは分からないが、「20世紀の哲学の世界を語る2は、5人か30人ぐいかという選択肢しかないと僕は考えています」という理由しか見当たらず、だから5人を選んだのだというのだ。選ばれた5人は、ソシュール、フッサール、ウィトゲンシュタイン、サルトル、そしてレヴィ=ストロースである。そして、「ちなみに30人のケースでは」次の頁の表の哲学者がこの5人に加わる、としている。しかし私がいくら数えても、その表には22人しか名前がなく、5人を加えても27人にしかならない。
 そして、本文にはハイデガーは出てこない。この点は読者からツッコミが来ると予感したのか、サルトルのところで、なぜハイデガーやメルロ-ポンティやレヴィナスではなく「サルトルを選んだのかと問われたら、直観で選んだという以外の答えはありません」と、議論にならない弁解をしている。思うに、サルトルは世代的に著者は読んだことがあるのだろう。だが、ハイデガーは読んだことがないのではないか。巻末の参考文献にも、ハイデガーは1冊も挙ってこない。恐らく著者としては、本文で紹介していないから、と理由付けるのだろうが、西洋の形而上学を根柢から問い、サルトルの実存主義に先立つ基礎となったハイデガーを無視し、サルトルの実存主義の基礎としてキルケゴールとニーチェだけを出してくる、というのは適切ではないのではないか。
 そう言えばカントの紹介も、合理論と経験論の統合がメインで、対象と現象の二元論だといい、それは現代の脳科学と一致するとしてた。実践理性批判は信念たる格率が学習を重ねていけば道徳法則と一致するとし、自律した人格となった人々が「目的の王国」という理想社会をつくることができる、そうカントが考えた、と紹介してた。ずいぶんと乱暴な、眉唾物であることは、明らかである。あとはカントについては、高校生にも紹介される、よく知られた時間に正確なエピソードに触れるくらいであるが、ひとつの町を出ずして世界中の知識を得ていたことや、女性と結びつきはしなかったがサロンの花形であったことなど、紹介すると面白いエピソードは、いくらでもありそうなのに、残念である。フィヒテも曖昧な紹介だし、シェリングは観念論の系譜からもものの見事に消えている。
 得手不得手はあるにしても、自分の趣味のものと、よく分からないものとの差がずいぶん大きい。
 ビジネスパーソンが学ぼうとするときには邪魔立てしないが、学生にとっては、書棚の場所だけをとってしまうことになるだろう。ただ、ぶっちゃけこういうふうとちがうか、という点で役立てるのならば、一向に本書でも構わないと言えるだろう。




Takapan
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