『ヤスパース 哲学入門』
ヤスパース
草薙正夫訳
新潮文庫
\220
1954.12.
NHKのEテレ「100分de名著」で、2026年2月に、本書が取り上げられた。カントやヘーゲル、ハイデッガーなどはすでに登場しているが、ヤスパースはたぶん初登場であろう。かつては実存主義の旗手として大いに読まれたが、その後すっかり陰に隠れている。
私の手許にあったのは、新潮文庫で1978年発行のもの。その幾らか後に読んでいるが、それ以来開いたということになる。紙は茶色に焼け、ぼろぼろになりそうではあるが、頁の中央部はしっかりしている。今では価格も3倍以上になっているが、元々は1954年に発行されている。訳文が古びているか、とも思ったが、決してそういうことはない。
この本の内容は、ヤスパースが放送局の依頼により、12回にわたり語られたラジオ番組「哲学入門」の原稿である。文庫でも、それを全訳している。放送は1949年だというから、邦訳もその5年後と、タイムリーでもあった。それだけ、当時日本でも、ヤスパースは人気があった、ということなのかもしれない。
訳者の「解説」によれば、本来の哲学は「哲学が人間としての人間にかかわるものであるかぎり、大衆の人間存在の中に深く根をおろすものでなければならないという著者の哲学に対する根本的な見解」がここに実現したものであろう、としている。
しかし、日本語のせいであるのかどうか分からないが、内容は決して、大衆のためのラジオ放送で聞き流して分かりやすい、というものではあるまい。時間の制約もあるはずだから、概念の説明をあの手この手で角度を換えつつ懇切丁寧に語る、という暇はなかったものと思われる。とにかく後戻りのできるラジオ番組である。一度聞いてそれと分かるようなものであり得たのかどうか、私は疑問である。
Eテレの「100分de名著」では、四週に分けてそれぞれ基本的にひとつの概念だけを取り上げるのが手一杯であるから、講師の戸谷洋志教授が、必ずしもヤスパースの研究家ではないという点を逆に活かして、「限界状況」「愛の闘争」「世界像」「包括者」という観点から紹介していた。
だが本書は12講から成る。番組だけの方もいるだろうから、ここにその12講のタイトルだけでも並べてみようかと思う。
「哲学とは何ぞや」「哲学の根源」「包括者」「神の思想」「無制約的な要求」「人間」「世界」「信仰と啓蒙」「人類の歴史」「哲学する人間の独立性」「哲学的な生活態度」「哲学の歴史」、以上12講である。
ここだけ見ると目立つのが、キリスト教的な思想である。事実ヤスパースは、実存主義の中でも「有神論」の立場に立つとされる。但し、哲学という領域に於いては、聖書の神を前提として神学を語るわけにはゆかない。そして、論理を通そうとするときには、キリスト教の「神」では説明がゆかないことがある。もっと神的存在を包括するようなスケールで、そもそも「神」なるものが存在することは必然である、という原理を立てるのであれば、それはそれで哲学的思考となるだろう。
だからヤスパースは「包括者」と呼ぶ。そして、この「哲学入門」の中でも、比較的初めの方でそれについて説き明かす。しかし「100分de名著」では、包括者の登場は最後だった。最も難解だから、ということらしかった。だがそれは、そもそもの神概念が異なる日本人を対象にした設定であっただろうと思われる。だからより実際の体験からも理解できる「限界状況」とか「愛の闘争」とかいうことから、じわりじわりと近づいていったのだ。
しかしヤスパースは、キリスト教の文化圏で発言している。聖書を信仰しているかどうかは別として、聖書についての一定の知識と、その概念にどっぷりと浸かった環境で、この講座を語っている。ちょうど、日本人相手に、念仏とか焼香とか墓参りとかいうことに、とりたてて説明が要らないように、ヤスパースも、殊更に説明が要らない背景の中で、ただ論理的に説明ができるようにと、神にまつわる概念を繰り出してくるのである。
だから、途中で「神の思想」について語るときにも、ギリシアの神や神の存在証明の数々を平板に並べることができた。しかし神は、自由と不可分であり、自由であるためにこそ、人間は実存なのだ、という観点も明らかにする。
一方で、カントによる「哲学すること」の基本線も守っており、私たちが決して達することのない目的への途上にありつつも、思索し続けることの意義は熱く抱いていることがよく分かる。
なお、12回にわたるラジオ講演の後に、「付録」として、「はじめて哲学を学ぶ人びとのために」と題した文章が巻末にあり、自らの著書を挙げた後、「哲学の研究について」「哲学に関する読書について」「哲学の歴史的叙述」ということから、辞典の紹介、哲学史に関する書籍の一覧、それから古代から順に、簡潔な哲学史を展開している。かなりヤスパースの好みによる一口コメントの集まりではあるが、流し読みをしても面白い。
さらに、中国やインドも視野に入れた紹介をしているが、それは軽くなっており、やむを得ないだろう。最後のところに、「一人の偉大な哲学者を研究すると同時に、できるだけ早くそれとはなはだしく異なった他のものに着眼することが必要」だとも述べている。
決して「哲学」のための入門にはならない――などとは言わないが、ヤスパースが哲学をどのように見て、哲学者たちや哲学史をどう見ているか、についてはよく知ることができる著書である。「入門」ということばは軽い印象を与えるような気がするが、実は錯覚である。門に入ってしまうことは、よほどの覚悟の下にしかできないことである。そのつもりでこの門を敲くならば、それはそれで実入りがあることだろう。できれば神の存在にケチをつけないことと、時間をかけてゆっくり読むことをお勧めする。それであれば、得るところは少なくないであろう。

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