『哲学入門 第2版 ―身体・表現・世界―』
伊藤泰雄
学研メディカル秀潤社
\2200+
2013.1.
知られざる良書というものは、いくらでもある。本書は教育の現場での教科書として組まれ、2007年にできたものであるが、改訂を重ねてずっと発行が続けられている。実は私は、その最3版を2023年に知った。関心をもっていたが、価格の点で購入はためらっていた。そこへ、一つ旧い版が比較的安価で目に留まり、それを読むことにした。新版では、AIの視点や、身体的理性という概念が新たに導入されているらしい。
副題のようにして、「身体」という言葉が掲げられている。せいぜい、現象学以降の人間観を含ませているのか、と思わせるようなものであり、事実そうなのであるが、ここには深い意味があった。本書は最後に「附節 哲学から見た看護 ―『看護診断』のために―」という章が設けられている。もともと内藤純郎氏との共著『看護学生の哲学入門―人間理解のために』という1989年発行の本を基に、描き直されたものが本書である。詰まり、これは看護学生の教科書だったのである。現在はそう限るものとはしていないが、その基本姿勢を「附節」という形で残している。
だが、私の見立てでは、結局そのポリシーのようなものは、本書の生命なのである。本書はそれを目的として構成され、貫かれていると強く思うのである。そして、それはとてもよいことだと思うのである。
本書を「看護」という文字を表紙に置くことで売り出すことは、販路を狭めるように思われたかもしれない。だが、私はどこかに出してほしかったと思う。それは看護に問題を絞ることにはならないのだが、看護を軸に、多くの哲学的問題が展開しているように見えるからである。そのため、命というものに関心のある人には、「哲学入門」などというありふれたタイトルでは決して届かない、強いアピールをもたらすものだと私は考える。
哲学入門というと、古代ギリシア哲学から始まり、一人ひとりの哲学者の名を挙げ、その思想を辿る、というのが一般的な構成となるだろう。だが本書はその点で全く違う世界を呈する。章立てをそのままに掲載する。
序章 人間らしさ 第1章 身体としての自分 第2章 生きられた世界 第3章 時間の不思議さ・生と死 第4章 他者・近さと隔たり 第5章 言葉・比喩・論理 第6章 責任と自由 第7章 世間と社会 第8章 創造の秘密 第9章 技術と科学 第10章 自然・文化・歴史 符節 哲学から見た看護 ―『看護診断』のために-
人間が関心をもってきた、様々な問題について、哲学史の中から縦横無尽に、とまではいかないが、重要な見解を俎に載せながら、物語のように問いかけがずっと続いている。講義口調だと言ってもよいだろう。
議論が「身体」から始まるということで、著者がメルロ・ポンティを専門としているらしいことが窺えるが、それはやはり看護の問題とも密接につながるものである。そして凡ゆる問題の議論において、その「身体」という視点は、本書の視野そのものをつくる一貫した立場を示していると言ってよいだろう。
しかし実のところ、哲学者は数多く本書に登場しており、大きな偏りがない、ということも付け加えておくべきである。確かに「哲学入門」となっているのである。それは、哲学者の紹介でない、ということだけで、人類の関心事について、多くの哲学者の声を寄せ、人類が束になってその問題に挑もうとしている様を想像させる。
そうなると、当たり前のことではあるが、巻末に「索引」が必要となる。それも充実しているといえる。ただ、やはりある程度、哲学者それぞれについて、また哲学史について、ある程度の知識があることが望ましい。いろいろな人が無造作にこのように言っている、というのではなく、歴史の中にいた哲学者たちが、ある脈絡の中で、しかも当人の立場や考え方を基にして述べた考えが挙げられてくるのである。世間のうわさ話を並べているのではないのだから、それぞれの発言には相当の根拠や背景があるのだから、それらを知る著者が簡潔に述べていることの意義について、哲学について殆ど何も知らない学生は、思い知ることはないかもしれないのである。それはもったいないことである。
しかし、看護学生たちには、そのような時間はない。だから、「問題点」だけでも、このように並べられ、それらについて考える価値があるということ、また人類の知恵がこれまでどのような考え方をしてきたかということについて、撫でるようにでも辿ってゆくことは、非常に意味のあることである。すぐれた教育の方法であると私は思う。つまりは、高校までの課程で「哲学」というものに殆ど触れない日本の教育制度の中で、ここで哲学的問題に出会ったとき、恐らく若者たちは考えることだろう。自分もこうした問題について考えたことがある、不思議だと思った、なんとかしたいと考えていた、そのことがこうして人類共通の問題であった、ということを知ることに、大きな意味があると思うのだ。それは、私もまたそうだったからである。
但し、これはあくまでも「哲学」である。ごくわずか「宗教」について言及されないこともないのだが、問題を宗教の領域で捉えるということは、なされていない。「哲学入門」と看板を掲げているのであるから、もちろんなされていなくてよいのであるが、ケアを自分のミッションとして実現していくのならば、それを無視してよいとは思えない。死と命というぎりぎりの現場に立ち会うことになるのならば、本書をさらに超えて、宗教の領域で考える機会へと進んで戴きたい。本書が掲げている「哲学」だけの世界に、人間は存在しているのではないからである。
そして同時に、キリスト教の世界も、本書から学んだらよいと思う。人々がどこに立っているか。キリスト者自身もまた、その「人々」と同じように立っている、その場所である。聖書が言うから、というだけで、本書の世界を見ないならば、案外本書が指摘する世界における罠に捕まり、考え方においてしくじってしまう、ということも起こり得るであろう。私は、そうしてやり損ねている宗教者をたくさん見ている。学ぶこと、思索することは必要である。自分を知るということは、特に必要だ。この「哲学入門」から、自分を知ることへのステップを与えられることは可能だ、と私は見ている。だから、これを良書だと呼んだのである。

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