本

『ペスト』

ホンとの本

『ペスト』
カミュ
宮崎嶺雄訳
新潮文庫
\750+
1969.10.

 2020年、よく売れた。その1年後に、私は読んだ。100分de名著というEテレの番組で、これが取り上げられたことがあり、ポイントは知っていたからだ。番組テキストには、資料がたくさん集められている。それで、読んだような気になっていた、とまでは言わないが、他の本を優先して読んでいるうちに、時間が経ってしまったのだ。
 売れた本書が、古書店に集まるようになった。さすがにまだ人気の本のひとつなので、値が百円などというところにはなかなか下がらない。しかし私はなんとか半額で手に入れた。
 すでに「異邦人」は読んでいた。カミュには魅力がある。そしていま「ペスト」を読んだわけである。同じ「ペスト」でも、デュフォーを先に私は読んでいたため、これらの違いは歴然と分かるものだった。カミュはペストそのものをこのような形で体験しているのではないから、同じ病状の説明でも、迫力はそれほどにはない。
 そして、カミュ自身が、この「ペスト」に、何かほかのものを託して描いているのではないか、とも言われている声も聞いた。文学者は常にそういうことを考えているに違いないのだが、かといっていかにも対応していますぜ、といったふうに比喩の謎解きが明確にあるわけではないと思う。読者が自由に受け取り、想像することも許されているのだ。これを理解しない人が、他人の解釈を安易に違うなどと言うのを見たことがあるが、実に見苦しい。
 そこで私も甘えて言わねばならないのだが、よく言われる「不条理」というものを、実は私はそれほど大きなものとは感じなかったのである。疫病が流行ることそのものが不条理である、とでも言うのなら話は別だが、本書には医療従事者や政府などの対応の拙さのようなものを論うつもりはないらしく、それだけにリアルな描写には欠けているものと思われた。それほど不条理という安易な言葉で片付ける必要はないのではないか、と言いたい。
 ナチスの働きを背景に見ている、という解釈もある。確かにそれも作者はどこかで重ねているには違いない。しかし、そのようなことを言うためにこれほどの小説を組むようなことは、文学者がわざわざするだろうか。しているかもしれないが、いかにもの寓喩物語にしてしまうのは、考えることをしたくない人の焦りからくる発想でしかないような気がする。
 ストーリーをここで明かしてしまうわけにはゆかないから、内容について触れていくことはできない。
 ただ、リアリティは、病気の様子にはあまりないが、切迫した会話と心情の中にはたっぷり感じられるので、そのあたりはカミュの本領だという気がするのと、だからこそ逆に狙いはそこにこそあるのだと感じ取ってよいのではないか、と思うのだ。これは言うなれば、ペストである必然性はない、ということだ。ここに現象として現れた「ペスト」は、何も本物のペストそのものでなければならないということではないのだろう。ではそれは何を表すのか。カミュが、それを指定してくるとは思えない。読者が自由に考えたまえ、というところだろうし、しかし自分としてはこういうのを思いながら書いていたんだけどな、という辺りが実情に近いのではないかと思うのだ。
 おそらくカミュは、第二次大戦の時の閉塞感をモチーフにしているのではないかと推測する。人間を襲い、感染していくもの、逆らい得ないものとしてそれは取り巻き、しばらくの間確実に人を変えてしまう。もちろん死にも追いやるし、最後の場面のように、気の狂ったことまでも導き出す。人と人との間を遮断し、遠ざけ、不信感を懐かせる。キリスト教の説教ですら、尤もらしいことを言いながらも、破綻してしまう。そんなものに襲われ包まれ支配されるという事態があったのだ。
 だが、その戦争が終わる。ペストの町が解放されるように、戦争中のことから解放され、新たな希望へと歩み始めることができる。いや、できた。だが、本当にできたのだろうか。本作品は、ペストの終焉と解放の希望があるようにも見えるが、果たしてそうなのだろうかと私は案じてしまう。この手記を書いた者が、ここで終わったとはしていないことからも、そのように思うのだ。「この記録が決定的な勝利の記録ではありえないことを知っていた」とか「ペスト菌は決して死ぬことも消滅することもないもの」であるとか、「人間に不幸と教訓をもたらすために、ペストが再びその鼠どもを呼びさま」して死をもたらしたりするのだと分かっているというのだ。鼠に始まったペストの感染は、この謎の「鼠」で閉じられる。繰り返すが、これはペストという疫病の物語で閉じられるものではないだろう。そのペスト菌は、いまも起こり得るし、また潜んでいるのだとも言える。そう考えるべきなのだ。人々の心に、私の心に。




Takapan
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