本

『ペスト』

ホンとの本

『ペスト』
ダニエル・デフォー
平井正穂訳
中公文庫
\1200+
1973.12.

 カミュの作品と比較されるが、分野があまりに違う。カミュは文学作品だ。人間観察と設定や心理交錯など、非常に巧みである。筋書きという意味でも堪能できる。しかしデフォーのこちらは、邦訳には出て来ないが、タイトルはまず「ジャーナル」である。そこで、「日誌」や「記憶」などの言葉の付いた邦訳もあるくらいである。
 こちらも文学作品のつもりではあるらしい。しかし、やけに死者数の資料が登場するほか、ロンドン当局が出した法律もかなりの頁を割いて見せてくれている。ゴシップ的な怪しい噂も収められているほか、たぶん実際の事件を描いているのだろうと思われるが、やたら劇のようにセリフをふんだんに取り入れ、物語として描ききったところもある。ある人物がペストの流行したロンドンに居合わせて、その時の様子を語ったという恰好をとっているが、その語り手にはモデルがおり、またデフォーが幼すぎて知らなかったであろうことも、資料を多く活用して、できるだけ事実を伝えようと努めているようにも見える。
 私はこれを、雑誌掲載の特集記事だ、というように感じた。そのつもりで読んで行くと、引っかかりをさほど持たず、最も楽しめるのではないかと思う。
 訳はやや古い感じもするし、今ならばお見せできないような差別語も当時は使われていたのだが、本書はそのままに掲載している。しかし訳者の訳には、古めかしいところは少しも見られない。いまはまた新しい訳も出ているというが、これはこれで文庫でもあるし、読むには適切なものと見てよいのではないかと思う。新型コロナウイルスの嵐の中で、カミュと共に本書も、書店に平積みになるようになった。私は当初さして関心を向けなかったが、何かの拍子にこの本の良さを聞き、取り寄せて読み進んだという具合である。すると、面白かった。素早く読んでも読み間違いをする余地がないくらい明快に綴られており、楽しめるというのは本当だと思っている。
 17世紀半ばの、ロンドンでのペスト流行時のありさまを、ドキュメンタリーと週刊誌の賑やかさで書いたもののように見えるが、章立ても見出しも何もないので、最初から最後まで一続きにひたすら続いていく報告である。しかし読みづらいようなこともなく、また、この新型コロナウイルス感染症の騒ぎの中で私たちが感じていること、見てきたもの、そうしたものが随所に描かれているように思われる。ただ、当時は「信仰」というものがあった。キリスト教の考えの下に、本書は祈ったり忠告したりもする。キリスト者が読むと、その様子がよく分かる。実に、教会の様子がそこにはなかなかよく描かれているのである。
 もう少し具体的に語ると、教会関係の方々にお薦めできるというのは、ロンドンの教会の様子がけっこう描かれていることと、デフォー自身がピューリタンとして、信仰の眼差しを含んで綴ったり、また描写したりしているという点があるからである。当時イギリスは、ピューリタン革命を経て、王政復古の時代となっていた。そこへ生まれ落ちたデフォーは、革命の反動で、迫害の中を生き、嫌な思いを経験しながら育つ。ピューリタンの聖職者は聖職権を剥奪されるなどし、ピューリタンは官吏からも締め出されていたのである。
 しかし、ペストの感染が西の郊外からロンドンへと拡大してくるにつれ、ロンドンの国教会の聖職者たちの多くはロンドンを逃げ出す。しかし信徒が集まる礼拝堂には、今度はピューリタンの牧師が説教を務めるというようなこともあったのだと書かれている。但し、事態が悪化すると、それは会衆がいる限りではあったが、と但し書きがしてある。そしてこのことが、対立していた国教会と清教徒との関係を緩和することになったということは、後のほうで記されていた。信徒のほうでも、互いに別の教会を拒んでいながら、ピューリタンの牧師の説教をありがたく聞く国教会員がいて、打ち解ける土台ができたのだという評価がなされていたのである。
 まだ被害が深刻でなかった頃には、「政府当局が市民の信仰を奨励し、まさに頭上にふりかかろうとしている恐るべき審判を避けるために、罪を懺悔し、神の恵みを希うよう、公式祈祷と、断食と自省の日を定めたこと」(p59)で真摯に生きる人がいたことや、「教会や集会に参集してきた」様子が、まるで群がるようであったと記されている。扉近くに近寄ることができないほどに人が集まっていたのだそうで、「異常な熱心さ」があったという。市民が、神の恵みを祈り求めるために礼拝堂に熱心に集まることを「敬虔な行動」(p126)と表している場面も見えた。
 しかし、ロンドンに病勢が猛威をふるいだすと、教会にやって来ることをみな恐れはじめ、従来のように多くの人々が参集するということはなくなっていく。牧師の死者も増えていく。このような状況で「敢然として教会に出席し、会衆を前にして牧師の聖務を果たすということは、並大抵な勇気と信仰ではやってゆけるものではなかった」ともある。教会の扉はつねに開け放たれていたために、牧師の司式があろうとなかろうとおかましなしに、人々は教会に入って経験な祈りを捧げたのだそうである(p127)。
 ロンドンに疫病が蔓延してくると、人々の精神がおかしくなってくる。牧師の中にも、外を歩きながら両手を点に向けつつ、国教会の祈祷書をぶつぶつ唱えていた人がいたと言っているが、基本的に人は家の中に閉じこもっていたので、そうした人が目立ったのではないか、とも思われる。「この危険きわまりない時期に臨んでいながら、公然と礼拝に出席することをやめない人たちもかなりいた」(p192)という見方はさて、どんな非難をこめていたのだろう。
 当時、ペストの治療法はおろか、原因すら定かではない時代であったた。それが細菌性のものであることが分かるのは19世紀末で、パスツール研究所と北里柴三郎とが別々に発見している。旧約聖書続編をご存じの方は、トビト書で臭いにより悪魔を退散させる場面を思い出されるかもしれないが、デフォーの当時も、ある臭いにより予防できるなど考えられていたそうである。こうしたことは本書の随所に書かれてある。そんな中で、安息日には教会にぞくぞくと人が集まってきた。病原菌が猛威を揮っていない地域では、「教会も集会も全面的に閉鎖されたことは」(p376)なかったのだそうだ。もちろん、猛威が続いている間はそうではない。ある礼拝で、一人の女性が変な臭いを感じて席を立って出て行くと、全部の人が教会を次々と出て行くことになったというエピソードも遺されている。医者は健康そうに見えても同じだと警告し、人々は互いに疑心暗鬼となった。症状を隠しているかのような妙な恰好をした人々には近づかないように、人々は行動している。
 人々の反応や、助け合う様子、とくにロンドンではいまでもそうらしいが、貧富の差が大きいところであるため、貧しい人々への篤志や扱いなどを含め、心理的にも経済的にも、いま私たちが読んでも大いに参考になることがあると言えるだろう。身につまされることもある。昔の話だと言ってしまわずに、コロナ禍の中でも、いろいろ教示されることはあるのではないだろうか。本当、確かに面白かった。いや、不謹慎な心がけでそう言っているのではない。人間の反応や考え方は、数百年のブランクをも、感じさせないものとなっているのだと、驚きながら言っているのである。




Takapan
ホンとの本にもどります たかぱんワイドのトップページにもどります