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『ペリリュー・沖縄戦記』

ホンとの本

『ペリリュー・沖縄戦記』
ユージン・B・スレッジ
伊藤真・曽田和子訳
講談社学術文庫1885
\1520+
2008.8.

 知らなかった。沖縄戦関係の本は、たとえ読めなかったとしても、こういうのがある、という景色は眺めているつもりだった。確かに、沖縄在住の人や関係者の証言や写真などは、それなりの資料があることを知っている。だいぶ前には限られていたし、沖縄にでむかなければ見ることもないような、沖縄の新聞社発行のものなど、信頼のおけるものは限られていたかもしれない。ヤマトの者が、分かったふりをしていくら書いても、ウチナーの人でなければ見えない景色というものがあると思うのだ。
 だが、この思い込みが盲点だった。本書は、アメリカ海兵隊員の目から見た沖縄戦である。そういう記録が、文学的に遺っていたということを、私は全く見落としていたのだ。尤も、ペリリューでの戦いについては、アメリカ人の方からいくつかの記録が邦訳されて入手しやすい形で出版されている。だが、沖縄戦については、なかなかないような気がする。
 貴重な沖縄戦の、アメリカ側からの視点がここにある。ただ、本書がアメリカで発行されたのは1981年である。戦後何十年もの間、世に出なかったのだ。第二次世界大戦後、世界の警察のようになったアメリカ合衆国においては、ベトナム戦争という挫折を経て、ようやく本当の意味でかつての大きな戦争を振り返るようになったのだろうか、などと無責任な想像をしてみるが、その辺りのことは歴史を知る人が語ればよい。
 とにかく本書である。文庫だが、450頁を超えてくる。それでも、訳者によれば、著者の遺族の了承を得て、重複する記事などを幾らか省略してまとめたのだという。
 著者スレッジは、1923年生まれ。志願して第二次世界大戦中に海兵隊に入隊、1944年にパラオ諸島のペリリュー島に、そして1945年には沖縄島に上陸している。
 そう、あの鉄の暴風を浴びせたアメリカ軍の一員なのである。そして、地上戦を経験している。あの沖縄戦を、アメリカ兵としてどう見ていたか、という証言がここまで詳しくなされているものがあることを、私は寡聞にして知らなかったのだ。
 その内容は、直に見て戴きたいと思う。訓練の真剣さもさることながら、戦場で何を経験したか、実に細かく書かれている。本当に貴重な史料と言ってよいのではないだろうか。
 「訳者あとがき」によると、「敬虔なクリスチャンである著者は戦場に一冊の聖書を携えていた。……著者は小さな紙片に日々の体験を書き付けては、この聖書のぺーじのあいだに挟んでいったという。その膨大なメモが、本書の詳細かつ鮮烈な戦場の描写の骨格を成している」のだという。
 著者は「はしがき」で、「戦友たちのために、彼らに代わって語り継ぎたい、そう思って書いたものだ」と言っている。長い時間を経て、ようやく文章にまとめ上げることができたという。そのために歴史書を調べたが、自分の見たものとはずいぶん差があると感じたらしい。重くのしかかっていた記憶だったが、「時の癒し」のために、「夜中に悪夢から目覚めて冷や汗と動悸に襲われることもなくなった」のである。
 たとえ生きて帰った者たちの中にも、「正気を犠牲に捧げた者もいる」という、何気ないような一言が、私の目を惹いた。戦争が痛めつけるのは、体だけではないのだということは、よく聞くことであるが、このような言い方ができるのは、正に当事者だからなのだということを感じ、震えるのだった。
 二つの戦いは、アメリカ軍にとっても、多くの犠牲を払ったものであった。それだけ日本軍が抵抗したということでもあるのだが、特に日本本土を守るための最後の捨て石としての沖縄での戦闘は、死に物狂いの日本兵の故か、アメリカ兵にも多大な死者を出した。沖縄の民間人の犠牲についてばかり、私の耳にはこれまで情報が入ってきていたが、本書は米兵の視野である。民間人の場にはあまり関係がなかったようで、その点については描写は殊更には出てこない。捕虜の扱いについても、ハーグ条約に従うところが書かれており、民間人との触れあいもずいぶん和やかなものがあったことが分かる記述であった。恐らく著者としては、その辺りは誠実に記しているのではないか、と推察する。
 但し、軍隊内で何があったか、というレポートでは、実に淡々と、日本軍への悪口も正直に残している。「ジャップ」は私たちにもよく知られているが、「ニップ」という表現の方が本書では多く、勉強になった。もちろん、Nipponからできた言葉であるはずだ。
 ペリリューでの戦いの中で、著者は突然声を聞く。「おまえは生還する!」と。これを、「たしかに神が私に語りかけた声を耳にしたのだ」と証ししている。「そう信じた私は、戦争が終わったら有意義な人生を歩もうと決意した」と続け、本書の中でも数少ない神との関わりの場面が印象的であった(p143)。
 沖縄戦では、2か月半ほどの戦闘が記録されているが、この辺りでかなり酷い表現が続く。どのような死体であったか、それをどう扱ったか、ここまでのものは、文学的にも滅多に見るものではない。大岡昇平のような文学者だと、却ってぼかしてしまうのだ。そのような描写の合間に、ふと心を漏らすところが、読者の心に響いてくる。「暴力と衝撃と血糊と苦難――人間同士が殺し合う、醜い現実のすべてがそこに凝縮されていた。栄光ある戦争などという妄想を少しでも抱いている人々には、こういう出来事をこそ、とっくりとその目で見てほしいものだ。」(p456)
 本文を閉じるにあたり、著者が幾度となく挟んできた言葉が、再び念を押して語られる。「戦争は野蛮で、下劣で、恐るべき無駄である」(p466)と。「無益だ」「無駄だ」といった言葉を、数からするととても多く述べているわけではない。しかし、それがやりきれない気持ちを漏らしているということは、よく分かる。「他者の苦しみに共感する力」がせんそうによって苦しめられるのだ、というひとつの結論を、解説の保阪正康氏は最後に述べていたが、戦争を「内省的」に述べた本書のような本が、日本軍の兵士から書かれなかったことを、そこで零している。
 酷い描写がたくさんある。だが、目を逸らしてはならないものを証ししている本だ。志が与えられた方は、お手に取って戴きたいと強く思う。




Takapan
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