本

『心に迫るパウロの言葉』

ホンとの本

『心に迫るパウロの言葉』
曽野綾子
新潮文庫
\514+
1989.4.

 なにを今さら、と言われそうである。読み継がれた、キリスト教エッセイの名作である。今のいままで読んだことがなかった、というのは、明らかに私の怠慢である。それとも、実際に見ていた著者の姿に、どこか引くような気持ちでいた故であろうか。
 小説作品には縁がなかったが、その政治的発言は、度々世間に波紋を投げかけてきた。実際、政治評論活動はもうひとつの大きな顔であったわけだが、世間ならずとも、私は賛同しかねる発言を、かも政策に実際に大きな影響を直接与えるような論を主張していた。災害や事件の被害者に対して厳しい発言を繰り返したり、沖縄戦について日本軍を正当化しようとしたりもした。差別を推進するような発言や、夫の三浦朱門が教育政策に力をもっていたことと併せて、教育内容を歪めたように私には見えることが、肯けなかった。カトリック信仰と言いながら、靖国神社参拝などについて強い賛同を示していたようなことも、近づけない原因だった。
 こうしたことで、積極的にその文章を読もうとする気持ちがなかった、というのが実情であろう。
 だが本書は、そういう政治的な主張を載せてはいなかった。むしろ最初は聖母の騎士社から刊行され、他社から単行本ともなり、そしてついに新潮文庫として発行され続け、私の手許にある2000年発行のものは、12刷を数えている。
 内容は、タイトルにあるように、パウロの言葉を基本とし、その短い言葉を教訓として自分が捉えたこと、それにまつわるエピソードをふんだんに描き、それぞれ文庫本8頁程度にまとめたものがひたすら並んでいるものである。
 歯に衣着せぬ発言は、身近な出来事についても、はっきりと言う傾向があるし、信仰についても、自分はこんなだ、とあけすけに語るところは、著者らしいかもしれない。だが、見立てるところ、信仰そのものについては、かなり保守的であるように見受けられる。カトリックの教義にあるから、ということですんなりそれに従ってものを言うのだ。
 あるいは、だからこそ、自分の信じるところをあんなに強く真っ直ぐに、ブレることなく主張していたのかもしれない。周囲の顔色を見ながら、どう言えば波風が立たないかをまず考えるのが日本本来の傾向だとすると、著者はドライで西洋論理を貫く一面があるような気がする。
 だから、こと信仰だけについて注目するならば、本書の指摘は実にためになるのだ。妙に気兼ねせず、ズバリとパウロと向き合い、その言葉を真摯に受け止め、自分の生き方に反映させてゆく。あるいは、自分の行動原理に重ねてゆく。聖書の言葉に生きるというのは、ひとつにはこういうことなのか、と襟を正されるような気持ちになってゆくのだ。
 人生で出会う様々なシチュエーションに於いて、普通ならば行き詰まったり、反発したり、嫌になったりするであろうような場合でも、いわばそれはパウロが出会ったことばかりなのである。パウロは、最初イエスの弟子たちを迫害する大将だった。ユダヤ教のエリート中のエリートで、教えられたその宗教のためなら過激なことも行える、若手のホープだったのだ。しかし、迫害に精を出すその途上、突然天からの光に目がくらまされ、主イエスの声を聞く。おまえはこれから私の声に従い、またとない使命を帯びて働く器となるのだ。そうしてイエスの霊に突き動かされるようになったパウロは、今度は実に一途にその声に従うようになる。すると今度は、ユダヤ教サイドから、裏切り者呼ばわりされ、イエスをキリストだと証言し、その才能を遺憾なく発揮するパウロの命が狙われることになる。パウロが迫害を受けるようになるのである。
 人間パウロが、どう窮地を乗り越えるのか。そこに徹すると、確かにこれは困難に遭う私たちへの、かけがえのないメッセージであり、知恵となるものであるはずだ。自分が生んだ、あるいは指導する教会でのトラブルもある。自分ひとりの生き方としての問題もある。社会についての見解もある。
 著者は、当時の社会状況に対して公平な見方をしているように思う。パウロが現代の社会常識に反することを言っている、などと揚げ足を取るようなことをしない。それよりもむしろ、私たちが置かれたいま、それをどう聞くか、という、至極真っ当な受け止め方をしているのだ。だから、本書について言えば、信仰に於いて健全な見方を概ねしているように理解してよいだろうと思うのだ。
 もちろん、すべてを信奉する必要はない。結局私たちは、一人ひとりが聖書と向き合い、神からの言葉を受けるよりほかないのである。ただ、自分の視座からだけでは見えないものを、時折このような信仰心のある人の視線から、気づかせてもらえるなら、それで十分であろう。
 1986年に出た本だが、決してその意味では古びてはいないと思う。なお、2025年、私が本書を読んだ年、それは曽野綾子氏が亡くなった年である。




Takapan
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