本

『プラダー・ウィリー症候群』

ホンとの本

『プラダー・ウィリー症候群』
長谷川知子監修
講談社
\1260
2009.10

 この本を見て初めてこの病名を知った。そのような者が下手に説明をして、病気に対する誤解を広めるようなことがあってはならないから、その点はここでの説明はご勘弁戴きたい。
 ただ、子どもが産まれたときから何か少しおかしいかなという感じを抱かせつつ、やがて、言ったことが理解できないとか何とか、どうしてこの子は分からないのだろう、というような段階に至る、そこにこの症候群の疑いが始まるというのだ。
 学習障害という言葉が広まり、何かと使われがちになってきた。だが、ことはそう単純に割り切れるものではない。「風邪」といったからといって、罹患したすべての人が同じ症状であるとは限らない。中には風邪でないものもあるかもしれない。
 だから、学習障害だね、ということで一律の対処をしたところで、その方法でうまく改善できる場合もあれば、全く逆効果という場合もあるかもしれない。
 最近分かってきたというのか、それともたんに見過ごされてきたというのか、それは素人の私には分からないが、とにかく一定の身体的条件が背景にある中で、行動が生まれていくという一連の現象に光が当てられたのは、苦しんでいる当人や家族にとって、助かることであるかもしれない。たとえばこの症候群の特徴の一つには、罪悪感なしに店の商品を食べてしまうなどの行動があるそうである。こういうことを目の前にして、やたら道徳的訓示を垂れても理解されないのであるし、また、話が通じないと相手にされなくなっても困るわけである。では極端にいうと、こういう子がいたときに、悪さをさせないためには幽閉するしかないか、などということにさえなりかねない。
 互いに理解が必要なのである。この症状には、ある程度の原因のようなもの、あるいは背景のようなものが見られるし、そこから出てくる言動についても一定の範囲での共通項があるとするならば、それを理解して、互いに快く共存していけるような道を探ることが、できてしかるべきではないだろうか。
 また、普通に会話をしていても、実は理解をしていないというケースもあるという。これを、いくら話をちゃんと聞けと叱っても、行き届かない面は改善されないのである。たとえが適切であるかどうか分からないが、外国に行き、当地の言語で激しく怒りまくしたてられているのを目の前にして、少しは単語が聞き取れるけれどもやはり何をどう言っているのか分からないという不安に近いものを感じている、そういう感じのこともあるだろうと推測する。そういう場合、何よりも、不安を取り除くということが求められてしかるべきである。
 食べるということにも関係しているというから、思い当たるケースは多々あるかもしれない。今まで、「どうしてこの子は……」と思い悩んでいた親の中には、この本で、少なくとも訳が分かるようになることがあるかもしれない。もちろん、素人判断は禁物である。心当たりがあったら、しかるべき医療機関に相談するのが筋だろう。この本を読んだからといって、自分で簡単にすべての対症や治療ができるわけではない。しかし、本人の不安も解決される方向性が見出され、周囲の人にとっても首肯できる事態が訪れる幕開けとなるならば、こうした本が世に出て人を助ける意義は、本当に大きい。
 こうした先天性疾患により、人は人を差別し続けてきた。互いの理解により、こうした差別がなくなっていくことを、望みたい。




Takapan
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