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『オックスフォード&ケンブリッジ大学 世界一「考えさせられる」入試問題』

ホンとの本

『オックスフォード&ケンブリッジ大学 世界一「考えさせられる」入試問題』
ジョン・ファーンドン
小田島恒志・小田島則子訳
河出文庫
\820+
2017.11.

 発売当時ちょっと手が動いたが買わずにいたのを、やっぱり読みたいと思い、いつものようにamazonで注文したら、その翌日訪ねた書店で、古本として100円で売っているのを見たためにショックを受けた、曰く付きの本。
 確かに送られてきたほうが美本だったので、特別に損をしたはずはないのだが、少し悔しかった。
 そんなことは本の中味には関係がない。
 とにかくここにあるのは、入試問題である。著者は、それの正解を述べているというわけではない。著者なりに、その問いかけから思うことをいろいろ指摘しているだけであり、いわば与えられたテーマに対して自由にエッセイを綴ったという程度のものに過ぎない。しかし、その問いというのがふるっている。
 まず、「あなたは自分を利口だと思いますか?」から始まる。これが本書の本来の原題であるが、邦訳では副題として用いている。大学入試問題というほうがインパクトがあるからだろう。一つの正答があるわけではない。著者は、これを単純に肯定しても、また否定しても、入試の場では適切ではないと考える。まるで頓知を競うかのように、一定の答えを出すわけだが、なにも全編がそのように進むわけではない。
 「過去に戻れるとしたらいつにしますか、またそれはなぜですか?」という子どもじみた質問でさえ、この唐突な問いにどう対応するかがテストされるわけである。議論によって事が進むお国柄では、与えられたテーマについてどういう思弁を持ち出すか、しかもできるだけ速やかに鋭い回答をもたらすか、が大きな意味をもつものであろう。本書は、そのような思考の醍醐味を与えてくれているし、だからこそよく読まれたのであろう。
 しかし「なぜ、昔、工場の煙突はあれほど高かったのですか?」はただの頓知などではない。一定の知識と推測など、広い教養が要求されるし、社会を見つめる眼差しが不可欠の要素となる。他方また「歴史は次の戦争をとめ得るでしょうか?」となると、大学側が若い知恵を欲しているのではないかとさえ思えるほど、深刻になってくる。これは「なぜ世界政府はないのでしょうか?」にも関わる。もし世界政府ができたら、戦争はなくなるからだ。これは言葉の遊びになるかもしれない。「戦争」は国家が国家に対して宣告することによって成立するという定義がある以上、一つの国家しかなければ、その定義での「戦争」はありえないことになるのだ。詭弁のようだ。いや、それも一つの回答であるかもしれない。しかし歴史についての広い見識がなければ、何らかの意見が生まれるはずがなく、歴史と人間についての深い思索がどこかでなされていなければ、答えられるものではないだろう。むしろ、大人のための問いであるようにさえ見える。
 科学的なものも多い。「あなたは自分の頭部の重さをどのように量りますか?」だと、首を切るわけにはゆかないものだから、アイディアが求められる。しかもやはり科学的に納得のいく手段が求められよう。100kgまでの体重計で150kgはあろうかという人の体重を量るにはどうすればよいか、という程度の生やさしい問題ではないのだ。「なぜ海には塩があるのですか?」も自然全体の理解が不可欠であり、口から出任せではやっていられない。しかし普段の学習の中でそのようなことばかり考えているわけではないから、やはり広い見識を背景にして初めて何らかの答えが出てくるということになるはずである。
 簡単な算数もある。「ここに3L用の水差しが一つと5L用の水差しが一つあります。4リットルを量りなさい」は、よくある単純なクイズであって、私たちでもすぐに回答できる。しかし「牛一頭には世界中の水の何%が含まれていますか?」の計算は即答できるものではない。しかし数字を扱うので、それなりの見解を提示しなければならない場面に追い込まれることになる。「方舟にモーセは動物を何匹乗せましたか?」となると、聖書を背景にしているので、聖書を知っていなければ対応できないが、そもそも「モーセ」というのが間違っている奇妙な質問であることを指摘したら、果たしてどういう評価になるのか、そこもまた面白い。
 イギリスの社会保障制度の問題を真っ向から尋ねるものもあり、これは日本の政治家にも考えて戴きたいテーマともなりうるし、アメリカ人の進化論に対する考え方にイギリスからの眼差しがどうであるかと知らせてくれる場面もある。コンピュータに良心があるようになるかどうかとなると、コンピュータの理解と、良心とは何かという哲学的な見解とが要求されるので、思いつきだと思索や教養の無さが露わになるであろう。
 現代を生きる私たちが、何か考えねばならないような真摯な問題も少なくない。一方、単なる空想的なクイズとしか言えないものもあるが、それもまた、案外現実に関わる視点を以てこそ考える価値があるのであろうから、考えることは無駄ではない。
 そうなると、本書は回答のほうももちろん悪くはないが、やはりこの入試問題を出した大学側にこそ評価すべきなのかもしれない。実に、問うことそのもの、その問いを生むことそのものが、私たちに決定的に欠けていることなのである。与えられた質問に対してなんとかその場凌ぎでも答えていくというのは、できてしかるべきことなのである。
 次の入試問題は、「オックスフォード(ケンブリッジ)大学に相応しい入試問題をつくれ」となるかもしれない。これぞ究極の問いとなりうるものであろう。




Takapan
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