本

『沖縄戦の戦争遺品』

ホンとの本

『沖縄戦の戦争遺品』
豊里友行
新日本出版社
\2400+
2021.4.

 沖縄戦の出来事を知ったのは、ずいぶん遅かった。そこから沖縄のことが心の中から離れなくなった。新婚旅行も沖縄の戦跡を訪ねた。
 その沖縄戦の記憶がどんどん遠ざかっていく。本書は、そこから76年目に出された。4月は、米軍が沖縄本島に上陸を開始した時だ。
 さすがに本の表紙には出されていないが、この写真集には、人骨も多く写されている。水中からこちらを覗く髑髏は、さすがにドキリとした。
 本書の遺品の数々は、国吉勇さんの収集したものである。沖縄戦のときに6歳、死者も見た。その体験がベースとなって、二十歳前の頃、何かに取り憑かれたかのように、遺骨収集を始めたのだという。そして、遺族が分かればお返しする。こうして、生涯を過ごしてきたそうだ。ガマを訪ねるのが体力的に難しくなってきて、近年その仕事から引退されたが、若い写真家が、こうしてその仕事を継ぐように立ち上がった。戦没者を思うことが私たちになくなったら、その時に沖縄戦が葬り去られることになるかもしれない、と著者は危惧している。体験者が地上からいなくなったらどうするか。人がその声を受け継ごう。それが続けられる中で、体験者は実はなくならない。こうした遺品が「語り部」となるであろう。ならねばならない。
 絞り出すような著者のその声を、私たちは聞いてどうするだろうか。それが、この写真集の問いかける問題である。
 品々の中には、原型を留めないものがしばしばある。米軍が、ガマに向けて火炎放射をしたためにそうなったのである。そこには人がいた。どうなったのか、想像するだけで苦しくなる。降伏すると殺される。日本軍にきつく教えられたために、一般住民は、死なずに済んだ人々までも殺された。さらに、自決せよという命令のために、家族や知人同士で、刃物で殺し合い、手榴弾を爆破させた。
 慶良間諸島にまず米軍は上陸した。3月26日のことだった。その約一週間後、イースターの朝、今度は沖縄本島に上陸した。その後は、どれほど酷いことが起きたか、ここでは綴ることなどできない。もしご存じない方がいらしたら、ぜひ資料を繙いて戴きたい。
 本書に掲載された多くの遺品には、1990年代以降の日付が書かれている。その頃から国吉さんが丁寧に日付を記録し始めたのだそうである。しかしいつ見つかったとしても、それが遺品となってしまったのは、あの時であったに違いないのだ。  将校が自決した短銃が、ぼろぼろに錆びている。人を殺すものは、錆びて朽ちてしまうのだ。そんなものは、永続することがないのだ。いくつかの医療品もある。ピンセットは、いま普通に使われているのではないかというほどに、光沢がある。人を助けるものは、輝き続けるはずなのだ。
 沖縄戦について、知らない人がひとりもいないようになってほしい。せめて、知ることだけでも、お願いしたい。
 そしてできれば、沖縄の住民を殺戮したのは、ヤマトの人間だというところにまで、踏み込んで戴きたい。私が、そのヤマトの人間なのである。




Takapan
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