本

『小説ノアの箱船』

ホンとの本

『小説ノアの箱船』
ディヴィッド・メイン
金原瑞人訳
ソニー・マガジンズ
\1890
2005.9

 聖書からのインスピレーションで小説を書くという気持ちは分かる。豊かな想像力と敬虔な信仰心とから成る小説は、読者に大きな贈り物をすることになるだろう。
 題とその壮大なスケールになりそうな勢いにより、本を読み始めた。
 すると、いきなり戸惑った。記述は憚ることにするが、このノアの姿は何だろう、と思った。あまりにも、人間くさい、ただの頑固な老人ではないか。
 だが、考えてみれば、それはそれでよいことだ。ノアというと、唯一人の義人という設定であるから、私たちも、ついどこか聖人扱いしていたようである。知らず知らずのうちに、そうしたイメージをかためて、ノアとくれば……と思い込んでいたのだ。
 それは、まるで「敬虔なクリスチャン」というステレオタイプな表現のようなものだ。私たちクリスチャンは、しばしばその表見に嫌な思いを抱く。そうじゃないのだ、と叫びたくなる。と同時に、そういう者でありたいという、どこか矛盾した思いが錯綜するのを覚えるのである。
 ノアの場合も、どことなく聖人ぶった人物を想像していた自分が、情けなかった。それならば、人格者でなければ救われないではないか。能力や人からの評判が、神の救いの条件となるものではないことは、承知していたはずなのに。
 他方、それなら神はこのノアのどこに義とする思いを抱かれたのか。それは、畢竟謎と言わざるをえない。
 様々な手法をとって、多方面から描かれた、大きなテーマの本である。だが、これは自由な精神の所産である。信仰のために読もうとすることは、よしたほうがいい。あくまでも、通俗小説と捉えたほうが無難である。極めて人間くさいノアの周りで、どんな気持ちで息子やその妻たちはついてきたのだろう。そんな素朴な疑問に対する一つの可能性を呈したような小説である。成熟した大人の方のための本であると考えて戴きたい。




Takapan
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