本

『交響曲「第九」歓びよ未来へ!』

ホンとの本

『交響曲「第九」歓びよ未来へ!』
くすのきしげのり作
古山拓絵
PHP研究所
\1400

 板東俘虜収容所。徳島県鳴門市に実在した、戦争の折りに咲いたひとつの花があるという。
 バンドーとカタカナで絵本の中で書かれているこの町は、百年の時を経て美しい物語として、人々の手に取りやすい形になった。
 恥ずかしながら私も全く知らなかった。
 日本は第一次世界大戦、日英同盟に基づき、ドイツを敵国とした。ドイツ兵は中国にいたが、これらは日本軍により制圧される。そのドイツ兵5000人近くが、日本に送られ、捕虜となった。全国12カ所に分けて置かれた捕虜たちは、後に半数の箇所に集められたため、四国の三つの収容所は、この板東俘虜収容所にまとめられたのだという。
 絵本は、小学校に転校してきた女の子が、皆が不思議な歌を知っていることから始まる。男の子が歌う歌は、ドイツ語の歌だった。どうして皆がドイツ語の歌など知っているのか。祖母が絵本を開き、読み聞かせながらその謎を教える……つまり絵本の中で絵本を読むという入れ子構造の中で、板東の歴史が紹介されるという構成になっている。
 捕虜としてのドイツ人たちを篤く扱う所長がいた。松江豊寿である。会津出身の松江は、敗者とされた立場をよく知っている。俘虜つまり捕虜となったドイツ人たちを、人格ある人間として扱うことにしたのだった。それを、甘やかすなどという者もいたし、当時当然そう思われて仕方がなかっただろう。しかし松江はドイツ人たちが、文化的活動をすることをむしろ喜び、この立場や状況にあっても、人間らしく生活できるように協力した。
 そこから音楽活動が始まったとき、ドイツ人たちは生き生きと輝き始めた。入手できた楽器はもちろんのこと、自ら楽器を製作するなどして、ついにオーケストラ活動ができるほどになっていった。楽団がいくつもでき、演奏会が開かれるようになっていった。全部で百回異常も演奏会が催されたのだという。
 その中で、1918年6月1日、ベートーベンのいわゆる「第九」が演奏された。これはこの曲の、アジアにおける最初の全曲演奏であったという。
 この事実は、平和の象徴として語り伝えられるようになった。「すべての人々は兄弟になる」という歌詞の意味が伝えられていったのである。
 このような収容所は聞いた例がない、と知る人は称えるようになった。こう聞くと、ナイチンゲールかアンリ・デュナンがいたかのようにさえ思われるだろう。強制収容所で苛酷な労働を強いられ、後にはヒトラーがユダヤ人を虐殺することで有名にしたようなあり方として知られるような捕虜の扱いが、やはり当然視されていたような時代の中で、極めて人道的な扱いをした松江所長の信念と行動は、いま私たちに必要な平和の知恵と勇気に匹敵するものと言えよう。
 しかし、第二次世界大戦が始まり、そのようなことは忘れ去られてしまった。戦後、高橋春枝という女性が、この収容所の跡地で慰霊碑を発見する。これを他人事と思えなかった彼女は、墓などを守ることを続ける。その夫が捕虜となっていたシベリアから戻ってくると、ドイツ兵慰霊碑を守るように協力し、近所の人々をも巻き込んでいった。これが知られるようになると、ドイツ大使などが知って鳴門とドイツとの交流が始まったのであった。
 作者はこの町に生まれ育つ方である。児童文学を担う者として、この地元板東の出来事を知ってもらいたいという思いで、素敵な絵本を完成させた。「第九」のアジア初演から百年となる2018年に、このような美しい物語の絵本が、子どもにも大人にも同じように読めて感動と勇気を与える本として世に現れたことを、うれしく思う。平和とは何かという問いについて鈍感になり、戦うことだとしか答えを出せないような現代の危険な雰囲気の中で、人間として尊重すること、大切にすることがもたらした交わりを伝えることの意味は大きいと思われる。
 物語は、人の心に住み込み、また誰かに語りたくなる。私もせっかく知ったことであるから、このようにして、多くの方にお勧めしよう。そして私自身が、このような生き方を範として歩むことができるように、空を見上げようと思う。




Takapan
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