本

『宣教師ニコライとその時代』

ホンとの本

『宣教師ニコライとその時代』
中村健之介
講談社現代新書2102
\997
2011.4.

 岩波新書から、『宣教師ニコライと明治日本』という本が出ていた。同じ著書が、ニコライの日記をさらに日記の研究が進んだ上で、日記の全体を踏まえて、その本の続編という位置づけで著されたのがこの本である。とはいえ、独立してこちらの本だけでも十分読み応えがあり、むしろこちらをまず手にとって戴いて損はないだろうと思われる。
 二十代半ばにて日本に渡ったロシアの宣教師ニコライは、明治維新をその目で見、経験して、ロシア正教の伝道に一生を献げた。となればただの宣教師の生涯なのであるが、このニコライは、実に精緻な日記を書き続けていた。これが、個人の眼差しであるとはいえ、たとえば当時の工場の様子や物価にまで立ち入った記述があり、またとない歴史資料ともなっている。日本人の特徴として目に映ったものは、私たちの見ているものとは違う。なにもかもが珍しいので、細かく記されているのだ。この日記、関東大震災で焼失したものと一時思われていたが、ロシアに保存されていたことが分かり、近年その研究が進んだのである。これは、明治期の文化や習俗を知る上でも実に貴重な資料である。
 と同時に、これは日本へのキリスト教宣教についても貴重な資料であることは間違いない。現代の私たちにとっても無関係で済まされる問題ではないというわけである。
 キリスト教が日本にどのように根付いていくのか、いかないのか。そういうところを期待して読み始めたのであるが、読み進むうちに、おそらくそういうふうな意味ではあまり参考にならないのだろうという気がしてきた。これはニコライという強い個性の持ち主についての真実を見出そうという試みである。当時のロシア自体、特殊な環境におかれていたし、ある意味では日本のほうが先進国でもあった。実際、日露戦争をこのニコライは経験する。よくぞ日本に残ったものだと思う。当然、戦争の敵国の人間なのであるから、居心地がよくないし、命の危険さえ伴うものであったろう。
 つまりは、ニコライという宣教師は、まことに宣教師魂に貫かれていたのである。
 その霊的な葛藤についても、日記の中に伺えるというから、こうなると、一クリスチャンとして、信仰生活の本音という部分でも興味がわいてくる。もちろん、これは特別な伝道師である。しかもギリシア正教であるので、プロテスタントの私にはなじみが薄い。信仰の中身や礼拝で何を重視するかなども、簡単に一致することはできない。ただ、このニコライが金銭について極めて潔癖であったということが、この本によってひしひしと分かるのには驚いた。ロシアから援助される資金があるのだが、これをその与えられた名目のほかの費用には決して流用しないのだそうだ。流用でもしないとやっていられない場面がくると、自分に与えられる分をとにかく使った。それで、亡くなったときも、自分の財産らしい財産がなかったということだった。見上げたものである。
 北国から九州まで、ニコライは日本の各地を訪ねている。そこでの記録が歴史的にも価値あるものなのだが、それぞれの場所でどんなふうに聖書の話をしたのか、受け容れる場合と受け容れない場合とがどう違うのか、そして日本人がなかなかすぐれた民族であることに気づいて思案していく様子や、逆にまた一度信仰をもった日本人がまた信仰を離れていく様子についても、さまざまな記述がある点が紹介されている。
 はたして今、同じような燃える宣教師がいたとして、日本の霊的な風土がその目にどのように映るものであろうか。ニコライは、洗礼を受けずに亡くなった者がいると、痛く自分を責め、天国に行けなかったことを悔しがったそうである。この熱意については、私たちはいかにも生ぬるい。みんなで甘くなっていれば、気づかないものである。
 一人の人の生活から一生をとことん辿るというのも、なかなかためになる。




Takapan
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