本

『ニーチェ入門』

ホンとの本

『ニーチェ入門』
竹田青嗣
ちくま新書008
\660+
1994.9.

 考えてみれば、ニーチェの著作についてまともに読んだものは殆どない。題とぼんやりとした内容は聞き知っていても、本文を体験したことがないというのは、弱みである。しかしまた、それに没頭するようなゆとりもないし、趣味もない。キリスト教に対する憎悪から記したようなものが多く、それは本人がキリスト教を教え込まれ、その中で感じていった反動が爆発したようなところもあるであろうが、それほどキリスト教を知り、また古典文献について超一流の才能を持ち合わせているだけに、鋭い観点をもっているというのもまた事実であろう。つまり、言い当てているという点も少なからずあると思われる。あるいは、キリスト教内部では、分かっていても口には出さないというタブーのようなものがあって、それをはっきりと宣告した、という功績はあるかもしれない。いわば内部告発である。
 ところが、奇妙な形で日本人にはこのニーチェが人気がある。それはそうだろう。キリスト教はなんとなく聞き知ってはいるが、よくは分からない。それが世界を席巻している国際社会も分かっているのだが、どうも胡散臭い。そのキリスト教を批判しようにも、日本人はそんな知識も経験もない。そこへ、キリスト教を徹底的に叩いた男がいる。その本をひとつ読めば、キリスト教を批判するのに都合がよいだろう。ニーチェの言っていることをオウム返しに口に出せば、胡散臭い西洋文明を批判したことになり、自分の知る日本思想がいかにすばらしいかをアピールする、あるいは自負心が満足されることになる。そんなふうに思っている人も、あるかもしれない。
 だから、「神は死んだ」が日本人には一番馴染んでいる。そう、西洋の神なんかいないのだ。それを信じているのは間違いであり、それを信じているから戦争が絶えないのだ、そこへ行くと日本人は寛容で……というように、ありがちな自己肯定に走るのが、ちょっと思想をかじった日本人のお決まりのコースともなっている。
 そこへいくと、ちゃんと哲学を通してニーチェをきちんと読んだ人は違う。ひとかどの哲学者による「入門」はありがたい。「神は死んだ」に偏ることのない、ニーチェの思想の万遍ない、しかし要点を外さない説明は、新書という手段を心得てもおり、さすがである。
 その生涯は思想に大きく関係する。影響を与えたショーペンハウアーとワーグナーにも触れておく。そして、やはりルサンチマンの考えを大いに核として捉えていくという押さえ方により、読者の立つところをはっきりさせておいて、ニヒリズムの本当の意味や、超人・永劫回帰という、日本人には勝手なイメージで理解されやすいことにも釘を刺す。それから、生の哲学と呼ばれるニーチェの真面目たる「力への意志」に触れて書を結ぶ。
 いかにも優等生のような、古典的な善悪の命題を掲げて、それを人類の知恵として満足するのも、ひとつの生き方である。それを崩し、自由の大海原の中で戸惑いながら途方に暮れつつも、現代という状況の中でもがくことを、私たちは強いられているとも言える。ニーチェは、それを先んじて経験したひとりの、ある意味で正直な人間であるかもしれない。社会制度的なものとの関連という点ではあまり参考にならないかもしれないが、逆に人間存在についての位置づけや自らへの問いという点では、かなり純粋に、その問題と格闘したのは間違いない。ただ、それを真摯に問い続けすぎたということはあるかもしれない。やがて狂気へ導かれたのは、果たして何の故であるのか、私には分からないが、自分の境遇への怨念のようなものから、余りに炎を燃やしすぎたのかもしれない。ニーチェの語った内容を信奉するというよりも、安易に権威に委ねない態度を学ぶことは、大いに有効であるかもしれない。私たちもまた、自由の中でもがいている。ただし、そこから不安に襲われた据え、逃走していったところに、ナチズムという池があったと分析するフロムのような道筋をも、私たちは意識しておかなければならないだろう。ニーチェだけでは読めない、社会制度を作る私たちの生活というものがあるのだから。




Takapan
ホンとの本にもどります たかぱんワイドのトップページにもどります