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『ナチ・ドイツと言語』

ホンとの本

『ナチ・ドイツと言語』
宮田光雄/岩波新書792/\740+/2002.7.

 ヨーロッパ政治学をフィールドとし、キリスト教信仰を確固たる立場としながら歴史と平和を愛して止まない著者が、21世紀を切り拓くために、20世紀の暗部をひとつの切り口から提示した。「ヒトラー演説から民衆の悪夢まで」というサブタイトルと共に、本のタイトルに「言語」とある通り、言葉が如何に利用されたか、ナチの支配した時代から一歩も動くことなく、史料を取り出し、読者に注目させようとする意欲的な書。小さな新書という枠に収まりきれない内容である。だから、あまり論考する暇はなく、多少駆け足気味ではありながら、ヒトラーの時代に言語により動かされた世界のからくりを露わにすることによって、今の時代の言語の用いられ方やレトリックに気づかなければならないという方向性を以て綴っているように見える。
 論点は、ヒトラーの政治宗教、党大会映画の詳細、当時の歴史教科書といった大きな社会的な枠にまつわる実例を検討した後、表には出ない民衆のジョークに光を当て、最後に、サブタイトルにもある夢というモチーフで結ぶ。
 それぞれが豊富な史料を用いているが、それは著者のひとつの専門分野でもあるだけに、何十年という時間の中で得られたものであるのだろう。それを惜しげも無く晒し、読者に提示していく。それだけに、この小さな新書は、史料としても非常に豊富な内容をもっているのではないかと思う。本としての性格上、索引や注釈、引用などについては便宜をはかることはできなかったが、適切に整理さているため、困惑することはないであろう。
 私たちは、ここで入口に立つ思いがする。ナチとは何だったのか。また、これから何であり得るのか、警戒心を緩めることなく、今ここに立って、時代の風を見過ごすことなく見張っていなければならない、と襟を正す必要を感じざるをえない。これは決して、過去の出来事のアルバムではないのだ。特に、教科書がどう書かれていたかを証拠立てることにより、教育という問題を取り上げているのは、著者が現代日本の国旗についての縛りや歴史教科書へのこだわりなどの動きを懸念しているからではないかと思われる。表現の自由さえ、実のところタブーがあったり場の雰囲気や数の政治で個が封殺されたりする中で怪しくなっていることに、目を止めさせたいように見受けられる。最後に、あれは悪夢であったという尤もらしい弁明が意味を成さないことを明確にすることによって、人々が陥りやすい罠に気づかなければならないと言いたげのようだ。かつてのドイツから抜け出すためには、罪責告白が不可欠であったはずである。それを語る自由がなかった時代の中では、人間は、夢の中でそれに出会っていたことが、貴重な証言や記録から指摘される。自由が取り戻された時代になってからは、それは告白という形で言明しなければならない。もはや抑圧された夢という場ではなく、この社会の中で、互いに罪を告白することにより、許し合い、希望をもたらす未来を構築するために労する道を選べばよい。傷ついたこと、傷つけられたことは否定できないにせよ、そこから指針を得、歩み始めなければならないのである。その故に、この「夢」はまた、終わりの日に老人が夢を見るごとく、一種の預言として、機能することもできるのであろう、と著者は未来に問題を放る。その球を受けるのは下の世代の私たちだ。また、子どもたちへ受け継がれていくのでなければならない。
 それにしても、ここに集められた地下のジョークなるもの。ヒトラーや幹部を笑いの対象とし、現実社会を風刺する、実に見事な作品が多い。思わず笑ってしまうのだが、決して心の底から笑うことはできない。このジョークが生まれる過程として、どれほどの人の命が消されていったかを思うと、決して笑えない。
 頁の関係であろうが、ひとつひとつの出来事や項目について、一般的な解説を入れることはなされていない。読者は、歴史の解説や資料を横に置いて読んでいくと効果的であろう。だが、概してそれさえなくて済むほどに、叙述は適切である。膨大な研究資料を手短にまとめたような本である。矢継ぎ早に繰り出されるナチと言語の関係と実情の説明に、私たちは馴れてしまってはならない。それは過去の出来事であっただけではない。これからいつ源氏になるか知れない、将来的な関わりのある出来事なのである。
 いくらかの雑感とともに、人生の思いの丈を提示するような本を続けて出版している著者である。信仰という基盤をもつ者の中から、この精神を受け継ぐ学者が現れる必要がある。そして、実際「言葉」による時代の塗替えについては、用心してもしすぎることはないであろう。それは巧妙にすり替えられる。あることを前提として既成事実化するレトリックは、政治の世界で目立ってきているにも拘らず、ジャーナリズムの指摘も少ない。
 言葉を軽んじてはならない。言葉はいのちであったというのなら、ますますそうである。




Takapan
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