本

『ナタンと呼んで』

ホンとの本

『ナタンと呼んで』
カトリーヌ・カストロ原作
カンタン・ズゥティオン作画
原正人翻訳
花伝社
\1800+
2019.4.

 コマ枠のない漫画形式で最後まで進む。タイトルだけでは何の本だか分からない。サブタイトルに「少女の身体で生まれた少年」とある。これで少し見当がつく。そう、いわゆる性同一性障害の件なのだが、果たしてそれが障害と呼ぶべきものであるかどうか、私は分からない。あくまでも多数の者から見ての障害であり、時に異常のように呼ぶのだとしたら、それでよいのかどうか、疑問を呈するところだ。
 主人公リラは、日本で言えば中1にあたるとき、性別違和体験をする。自分が女の身体をもっていることが嫌でたまらない。苦しくそれを秘めている時期を過ごすが、やがて打ち明け、それでもからかわれるなどのこともがあったが、理解者にも助けられる。親もまた、ショックであったが、受け容れて、ホルモン治療や性的適合手術をするに至る。
 訳者解説によると、「本書は、身体的性と性自認の不一致に引き裂かれた一人のFTM(Female to Male)トランスジェンダーが、割り当てられた性に抗い、自分の居場所を獲得しようとするたたかいの記録なのだ。」
 本書の内容にはモデルがいる。訳者が伝える中で、現在大学で哲学を学んでいるという。その当人もマスコミに現れ、本書が実話であることを証明し、この本に関われて誇りに思うことを伝えたかったと述べているという。そして、同じような境遇の子どもたちの助けになりたいと言っているそうだ。
 フランスでの場合である。法的にどのようになっているかも、ストーリーの中で解説されていて分かりやすい。いま細かく紹介はしないが、年々規制が緩やかになり、手術も受けやすくなってきている。できるだけ苦悩する当人の立場に立った処遇がなされるようになってきているということが分かる。そのため、本書はかなり生々しい表現や説明がなされていることは告げておく必要がある。実際の治療もだが、画的にもそうだ。しかし、それがどうだととやかく言うとはできまい。これは心身に、自分だけではどうにもできない、社会的なものをも含む、苦悩を解決できるかどうかの瀬戸際の問題なのだ。命がかかっていることなのだ。
 訳者は日本にもこのような問題を扱ったマンガがあることを紹介し、本書を含めて、この問題に悩む人たちの助けになればよいと願っている。また本書のような形態で、この出版社は、病的な問題や移民あるいは事件被害者などの、本人の責任とは言えない事柄で傷つき疲れ果てており周りの理解が得られにくい立場の人々を描くコミックス形態の本を発行しているようだ。
 私たちはともすれば、自分の満足のために、善意の押し売りを図ることがある。自分は善いことをしたといい気になっているが、よけいに当該の人を苦しめているという、笑えない事態が多々あるような気がする。当人の声に基づき、いったい何を理解してほしいのか、そういった角度から表現されたメディアが、もっと広まり、それを理解することが社会の常識となることを願わざるをえない。
 リラが音楽を聴くシーンがある。アレッシア・カーラの歌(The Other Side)だそうだ。少し引用する。
  この街で生きていくのは簡単なことじゃない
  だからあなたに手を握っていてほしい
  そうすれば私はひとりじゃない
  あらゆる声が聞こえる…
  足を引っ張ろうとする人たちがいるけど…
  そんな人たちに耳を貸すもんか
 心に染みいるサウンドだ。自分の居場所がここにないこと、別の光を求めていることを歌い上げている。私たちはおそらく、「足を引っ張ろうとする人たち」の一人だと考えたほうがよい。耳を貸してもらえない者の一人なのだ。




Takapan
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