本

『『新約聖書』の誕生』

ホンとの本

『『新約聖書』の誕生』
加藤隆
講談社選書メチエ
\1890
1999.8

 シリーズの選書なので、大型書店にはまとめられているが、それでも発行年や在庫の事情があるのだろうか、この本は手に入りにくかった。ぜひ読みたいと思っていたので、日頃行かないある店で見つけたときには、小躍りして購入した。
 それだけの価値はあった。力のこもった本であった。著者がまだ40代のときの著書であるが、その若さで落ち着いた筆遣いで力強く描かれていた。もとより、私のような者に、そこにある事実の的確さについて判断する力はない。事実は事実として、意見は意見として書くという基本が守られてさえいれば、その意見部分をどう判断するかは、読者に委ねられているのであろう。私がどうと決める必要はない。ただ間違いなく、私の学びの参考にはなった。
 聖書が誕生するまでの通史、という程度かと思ったら、それはむしろ先般読んだ、クセジュ文庫のほうがそれにあたり、こちらはかなりの論証を含んだもので、しかも、旧約聖書からイエスを経てその後のいわゆる原始教会時代の組織としての動きを、実に丁寧に取り扱っていた。
 旧約聖書に対して新約聖書がつくられなければならない、などと、そのころの教会の指導者が考えていたわけではなかった。こうした前提を、著者は明らかにする。では、なぜその後聖書がつくられなければならなかったか。その背景を解き、事情をつまびらかにする。
 識字率のことはとくに言われていないから、ここはやはり教会指導者たちの間でどういう意識があったか、ということが大切なのであろう。ただ、旧約聖書の文化がもともとあったわけで、文字についてのこだわりは非常に強い背景があったのも間違いないだろう。それでいて、新約聖書が編まれた理由は、これまでそれほど簡単に説明がなされていたわけではなかった。
 イエスの記録を、時が経つとともに残さなければならないという意識が芽生え、などというようなありきたりの説明が的を外していることは、明らかである。しかも、それが何故ギリシア語であったのか、ということも説明しなければならない。異邦人に広く伝えるためにはギリシア語でなければならなかった、というのも気紛れな解釈に過ぎない。それなら改めてギリシア語に翻訳すればよいこと。なにもわざわざ、すべての文書をイエスが直接語らなかった言語を用いて記す必然性はないからだ。
 細かな過程はぜひ本書をお読み戴きたいのだが、私が少しばかりひっかかりをもったのは、ヨハネの福音書についてだ。ヨハネによる福音書の著者は、マルコによる福音書とルカによる福音書を知っていいたことは確実だ、というフレーズが何度か現れるのだが、可能性は否定できないにしても、確実とまで言えたのかどうか、そのあたりである。たしかに、マルコによる福音書に不満足な立場から、次々と別の福音書がつくられたというのはその通りなのだろうと思うが、ヨハネははたして、他の福音書の存在を知っていたというのみならず、手元にそれを置いていたのかどうかは、まだまだ研究途上であるような気がしたのだ。このあたりも、素人の気づきなので、甚だあてにならないのであろうが。
 また、二十七の書のひとつひとつが、なにゆえに聖書だと認められたのか、という点も、これだけの制限された本の中では詳しく論ずることができないようでもあった。それは仕方がないだろう。
 議論そのものに魅力はあるが、時に「どうして?」と感じることがないわけではなかった。人によっては、非常に胡散臭く見えるかもしれない。評判も、信奉者と、批判者と二分されるようである。私などには、そんなものを判別する能力はない。とびきりおかしいと感じれば遠慮はしないが、こうした研究を正当に議論に上らせて、聖書についても可能な限り分かる点を増やしてもらいたいものだと思っている。
 しかしとにかく、時にスリリングに、時に大胆に、初期の各地における教会の立場やそこの指導者の心理、ローマ帝国の政治事情などを鑑みて、新約聖書が立ち上げられていく様が、生き生きと描かれている。まさに、それは人間の思惑によってではなく、神の見えざる手によって組まれた営みであるように思われてならない。だからこそ、これもまた聖書なりえたのではなかろうか。聖書に入れられた文書の審査もまた、神の領域のことなのだろう。その意味でも、聖書を巡り、神が才覚ある人材をどのように用いていったのか、というふうな読み方もできるように配慮された著述である。
 索引も巻末にある。実に助かる資料である。




Takapan
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