本

『NHKが悩む日本語』

ホンとの本

『NHKが悩む日本語』
NHK放送文化研究所
幻冬舎
\1400+
2023.4.

 時折このような本が出る。NHKは言葉に対して一定の基準をもっている。その言葉は正しいのか。使ってよいのか。もちろん「正しい」ということを掲げて決めつけていくわけではない。しかし歴史的に、また社会的に、言葉の意味や使われ方をよく考慮し、日本語の標準というものにチャレンジしようとしているように見受けられる。繰り返すが、正しいかどうか、ではない。いまの日本社会で使う言葉として、何らかの根拠をもって、使う基準を考えよう、とするのである。
 放送自体、その基準に則って言葉が選ばれる。それはもちろん時期により変化する。言葉の意味や使われ方も変わってゆくからだ。それでも、元来の意味からの誤用とされるものについては、慎重であるべきだ、というポリシーも見られる。
 それにしても、NHK出版という発行所をもっておきながら、本書はそこからではなく、幻冬舎である。どういう過程があるのか、興味がある。
 さて、副題に「放送現場でよくあることばの疑問」とあり、50を超える項目と、興味深いコラムが時折置かれている。ことばに興味のある私としては、どれも楽しく読めたが、先に挙げたように、これは正しさを競う場面ではない。私の語感で納得のできるものも多かったが、それでいいのかなぁ、と思うものもあった。例えば「依存」は、今は「いぞん」を優先しているというのは、首を捻った。その理由が、人々がそう読むことが多いという「実態を踏まえ」たためだというのである。
 項目は、放送現場や視聴者から寄せられる疑問である。それで項目はすべてQ&A形式になっている。中には初歩的なものもあるが、視聴者の中にはことばが気になる人がいるようだ。悪いことではない。「水道管が凍る」は間違いなのではないか、というのもあった。理科の答案としてはまずいが、日常用語ではこれはありふれたことである。湯を沸かすとか穴を掘るとか、目的をことばにする場合もあるし、テレビを見ると言っても、暗い画面をじっと見つめているわけではないことくらい、誰もが分かっている。ことばは互いに概念を共有するためにもあるのだから、常に科学論文のような書き方をするわけではないのだ。
 しかし、「正月」と「お正月」の使い分けは、確かに場面により微妙な感覚が伴うことだろう。「年の瀬」はいつからか、というのも、世間からずれた使い方をしていると、笑われることがあるかもしれない。「箇所」「カ所」「か所」のうちどれがよいか、というのは、実は私も迷うことがあった。これには、当用漢字表などからの取り決めの歴史や、放送業界の検討、国語審議会の対応などが細々とあったということで、こうしたことは知らなかったので、ためになった。
 他にも「超える」と「越える」の違いについては、私は私なりの感覚で使い分けていたのだが、その基準がここに示されていて、参考になった。「越える」は通過点が意識されているのだという。なるほど、と思った。
 一つひとつそうしたことをここで紹介することは避けたいというのが私のポリシーだが、ことばについての説明というのは、そのことばで私たちが何をどう考えているのか、についての構造を明らかにすることだから、一つひとつの例を感じていくことは大切だろうと思う。「あすは雨具があったほうがよい」のか「あるほうがよい」のかについての説明では、「あった」ほうが伝える側の推薦する気持ちが強く出るのだという。「ある」のほうはもっと中立的なのだそうだ。英語ならば「仮定法」のような感じもするが、日本語だとやはり「気持ち」の入り方に差が出るのだろう。おもしろい説明である。
 動物の数え方は、本来いろいろあるが、放送の上では、できるだけ「匹」に統一しているのだという。聞く方に混乱が起こらないようにとのことだが、どうしても「頭」は使う場面がある。すると、一頭のパンダが2匹の子どもを産んだ、などというようにするのかどうか、デリケートな部分が起こる。興味深い話であるが、放送が基準になってしまうと、古き良き伝統が消えてゆくことを助長することにもなりかねない。確かに英語でもそうやって古い規則を消していったのであろうが、子ども相手の現場で、日本語の危機を感じている私としては、大人がことばを軽んじているからことばが消滅していくのではないかと案じており、本当に「分かりやすさ」が原理となってよいのかどうか、まだ問うていたいと思っている。
 コラムには「ほっこり」「のびしろ」「白羽の矢」「次に参りましょう」など、よく聞くことばや言い回しが、誤解されたり、本来の意味から大きくずれたりしていないか、検討するものがいくつもあった。一つひとつ、私にとっては面白かった。但し、最後にムーミンの話に背後の事情があったのは実は知らなかった。日本でのみ付けられた名前のひとつに「ノンノン」があったことは知っているが、あれはトーベ・ヤンソンからクレームがついて、止めることになったのだった。その理由に関心がおありだったら、ぜひ本書を開いて戴きたい。




Takapan
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