本

『聖書を読む マタイ福音書講解7』

ホンとの本

『聖書を読む マタイ福音書講解7』
滝沢克己
岩切政和編
創言社
\2000+
2002.8.

 私より年上の日本の学者の中には、滝沢克己と聞けば尊敬する大先生だというふうに捉える人が少なくない。生まれは関東だが、九州大学の哲学科を卒業し、その後九大の教授を務めた。西田哲学の理解者ともなるが、カール・バルトとの親交も有名である。
 私が身近な人からよく聞いたのは、その「不可分・不可同・不可逆」という言葉であった。その意味についてここで滔々と語るつもりはないし、理解しているとも思えないのだが、西田哲学の中で矛盾を矛盾としない捉え方をしていく、禅問答にも比較できるような知恵にも似た、但しそこにキリスト教神学が関わるというあり方で、思索を深めた方であると聞く。
 その講解講義を文字にしたのが本シリーズである。私は偶々、古書店でこの巻を入手したのでこの一部分だけ取り上げざるをえなかったが、全巻通してお読みの方もいらっしゃるだろうと思う。
 弟子たちと呼んでよいか分からないが、関係者がその録音を纏め興したというところなのだろうが、本書は実にユニークなことに、話したそのままが忠実に記録されている。つまり「あのー」とか「ええとですね」とかいうところまですっかり遺されているのである。ただ、正直にそのままそれを置くと大変読みにくい文章となってしまうため、そのような合間にこぼれた、本筋とは無関係な語は小さなポイントで入れてある。ではそれをなくして普通通り編集すればよいではないか、という声もあるだろうが、滝沢先生の息づかいや語り口調をそのままに伝えるという目的があるのだと感じる。このあたりの事情は、本書の最初に「凡例」として簡単に紹介してある。つまり、あらゆる記号は編集者の判断であるから、そのルールを説明してあるというわけだ。「――」などの記号も、一定の意味をこめて付けているということを、きちんと説明してある。これは誠実な編集であり、読者への配慮である。また、それほどに滝沢先生のことを構成にも遺そうとする熱意を覚える。
 さて、本書はマタイ20:17から24:51までの講解が集められている。十字架を予告するあたりからエルサレム入城、そしてパリサイ人たちとの対決の場面が多い。また、小黙示が対語にかかってくる。内容的になかなか面白い箇所ではある。これを、滝沢節とでもいうのか、その豊かな語り口調がそのままにここに再現されるような思いで読むことができるから、確かにご本人のことを知る人にとってはたまらない魅力があるのだろうと思う。  話していることだから、書くときには省いたり避けたりするようなところまで零れてきているように思う。著書を殊更に知っているわけではないので、その区別はできないのだが、ラフに語っているのはよく分かる。やはりその会合の現場で語りを聞いている臨場感のようなものは確かに感じる。よい企画であったと思う。
 思想そのものをどうとかいう資格も知識も私にはないが、意外と仏教などの思想が多く語られていることが目についた。哲学もそうだし、仏教も滝沢克己氏の思想の中では大きなものであったことは伝え聞いているが、予想以上にそれはよく出てくるし、また深い。ちょっと見ると、これは仏教の専門家が語っているのではないかと思うくらい、しばらく長い間語っていることもあった。聖書の講義を聞く者からすると、これを余計なものと受け取るか、関連するものとして喜んで受け容れるか、分かれるところかもしれない。
 ただ、当時はそういう空気がきっといまより濃かったのではないかと思う。仏教とキリスト教、というようなタイトルの本が出回り、そのような意識で、キリスト教側でも仏教側でも論ずることが多かったのではないか。それだけキリスト教が大きく取り上げられていたのかもしれないし、何かしら公式な土俵でぶつかり合うものとして捉えられていたのかもしれない。その意味からすると、今はどちらかというと、新宗教の勃興から、キリスト教も一部カルト化している、あるいはカルト的なものとして、当時よりもマイナーなものとして見なされているのではないかという気がしてくる。それは、必ずしもキリスト教側からすれば、歓迎すべきことではないようにも思う。つまり、仏教との対話というようなことがなくなることによって、日本人社会から隠れた存在へと消失してしまいかねないのだ。
 滝沢克己氏の思想がいまどう活かされるのかは分からない。ただ、その思索の深め方は、ただ聖書学と神学とに没頭しているだけの研究とは、またひと味違う魅力や意義をもつものであるのではないかとも思われるのだ。いま閉塞しているのではないかと懸念されるキリスト教世界を開放させるための、ひとつのヒントになるかもしれない、と感じるのである。




Takapan
ホンとの本にもどります たかぱんワイドのトップページにもどります