本

『ミス・ポターの夢をあきらめない人生』

ホンとの本

『ミス・ポターの夢をあきらめない人生』
伝農浩子
徳間書店
\1500+
2007.9.

 ピーターラビットは誰もが知るキャラクターであるが、ヘレン・ビアトリクス・ポターについては、あまり知られていないことが多い。非常に地味な生活を送ったことや、自身のことを自ら秘密にするように努めていたことなどからも、なかなか表立った話題に上らない。とはいえ、いくらかの情報は漏れるようになってきたから、近年その生涯についても、耳にすることはあった。もちろん、ナショナル・トラスト運動については環境問題が大切に扱われるようになってからはつとに有名であるが、他の作家のようにはあれこれなかなか出てこない観がある。
 本書は、著者がそのナショナル・トラスト運動に関わる方で、おそらくそこを入口としてこの本が生まれたのではないかと推測する。尤も、子どものときからきっとピーターラビットの本が好きだったからこそなのだろうとは思うが、全体の筆致は、決して絵本本位で綴っているというふうには出しておらず、ポターの生涯をねっとりと追い続けていくルポを目指しているように見える。
 つまりは、絵本論ではないということだ。それを求めて手に取る必要はないだろうとは思うが、しかし、その人生を見ることが作品を知る大切な要素になることは間違いないから、人となりをうかがうためには、よいことかもしれないと思う。
 強調されているのは、彼女の実直さと、親の厳しさだ。よいところの生まれであるということのためか、親は結婚相手について、せっかくよい関係ができてきたという男性に対して、許可を与えなかった。また、婚約にこぎつけたときにも、相手が亡くなるという不幸にも見舞われている。ずいぶん遅くにようやく結婚生活を始めることができたが、普通思うような家庭生活に恵まれたわけではなかった。しかしビジネスというか、いろいろな取り決めについてはきちんと筋を通し、だからこそまた、ナショナル・トラスト運動につながる自然保護の動きができたのだろうと思われる。
 私が知らなかったのは、若いころのその科学者としての研究だ。菌類の研究において、他に類を見ない成果をもたらす可能性が強かったというのだ。最初のその研究内容は、思いつきだと男ばかりの世界から嘲笑され、しかしその発想が実るようになってくると弾かれる運命が待ち受けており、彼女はついに研究生活を諦めることになったという。19世紀末当時は、女性が学会に加わることはできなかったし、研究結果が認められるような機会自体がなかったのだろうと思われる。いまでこそ、男女同権だとか女性の地位だとかいうことでうるさい西洋諸国であるが、そもそも女性の選挙権自体百年あるかないかのような歴史しかもたず、このように学術世界においても閉鎖されていたということを思うと、西洋だとか東洋だとかいうことに関係せず、男社会がいかに歪んだままに続いていたかということを振り返らなければならないと言えるだろう。むしろ日本の江戸時代社会では、庶民レベルでは男女はかなり和やかな関係にあったのではないかという人もいるくらいだ。
 そうした研究もそうだが、自然のものをスケッチする絵の才覚が、絵本の世界へと見事に花開いたことは喜ばしい。また、そのストーリー展開も、たとえばコナン・ドイルが高い評価をしていたということも本書に記されている。子どもに絵を配り、手紙については実に忠実であったという彼女が絵本の世界に活路を見出していく過程がよく描かれていて、またその出版についても、子どもはきっと小さなサイズの本が手に馴染むから、とサイズにこだわり、そのためにまずは自費出版というような形で出し、それが好評になって出版社と契約をしていくようになった経緯など、その出版事情やかけひきなどがふんだんに紹介されている。やがて、名作がどのようにして生まれたか、ということも、分かる限り触れられており、ファンにはたまらない情報に満ちていると言えるのではないだろうか。
 その生涯が文章で綴られると共に、本の表紙裏には、ポターの周囲の人々との関係がものすごい相関図で表されており、裏表紙のほうには、イギリスの作家や女王など、当時の社会を彩る人々の生きた時代が一覧できるようになっていて、資料性も高い。章毎にエピソードが短くコラム的に載せられていることや、最初にカラー写真で本人の写真や絵本の紹介があると共に、湖水地方の美しい自然の風景を写真で見ることができる。この自然が、百年前からそのままに保たれているのはすばらしい。そして保つというのは、自然にできることではなくて、金ももちろん伴う中で、人々の心が集まって、たいへんな努力と労力を費やして、ようやくできていることなのだ。絵本の世界がそのままにいまもあるということは、なんとも貴重な宝ではないだろうか。私たちもそれを破壊するようなことをしてはいけない、と知ることはできないだろうか。
 その夢を、私たちも諦めたくないものだ。




Takapan
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