『形而上学とは何か』
秋葉剛史
ちくま新書1870
\1200+
2025.8.
読み応えがあった。索引を含めて350頁、手を抜かない著述であった。全編「敬体」で綴っているのには驚いた。この手の本は、基本的に「常体」だと思うだろう。だが、優しく話しかけるように常時語り、しかもそこは哲学であり、形而上学であるから、内容的に曖昧にすることはない。なかなかできないことである。だが、これが、近年大学で行った授業の内容である、と聞くと、少し納得できるような気がした。学生に対しては、ノート朗読でもしない限り、「です・ます」調で話すだろう。その口調そのままを、文字にした、と考えるならば、本書の形態は首肯できる。
さて、本書の目的あるいはコンセプトというものは、「はじめに」に早速書いてある。「「入門書」ということで、本書では、これまで形而上学(もしくは哲学)にふれたことのない方にもなるべく伝わりやすいような議論の仕方を心がけるつもりです。たとえば、専門用語を導入する際には、そのつど意味を説明したり例を挙げたりしますので、本書の基本的な内容は、哲学についての予備知識のない方でも十分に理解してもらえると思います。」
そして「あとがき」でもいきなりまた、「本書を書くにあたって第一の目標としたのは、これまで形而上学に接したことのない方たちにもその中身を知ってもらえるような本にしよう、ということです。」と書いている。この方針について偽りはあるまい。このとき、すべての人が形而上学に関心をもってくれるなどとは言えないけれども、「一定の割合で、形而上学にことのほか強い興味を示してくれる方々がいます」という事情を明らかにし、さらに「気質的には形而上学に向いた方々が結構いる」と述べている。だから、そういうタイプの人たちが、形而上学に触れる機会がなかったら寂しいではないか、とでも言いたげに、なんとか触れるきっかけができたら、との願いを告白するのであった。
しかし、正直言って、そんなに簡単なものではない。哲学をお茶の間に届ける(なんて表現はいまは無意味なんだろうが)つもりならば、通俗的な、半ばふざけたような本が昨今いくらでも発行されている。イラストをふんだんに設け、実に卑近な喩えを持ち出して、哲学の何らかの概念を分かったような気にさせるものである。そうすると、読者も、ちょっと光が射してきたような気がして、いい本だった、と本を閉じることだろう。そして自分は哲学が少し分かった気がする、という満足感だけを遺して、にどと哲学の本などは求めないのではないか、という筋書きを想像してしまう。
そこへいくと、本書にはイラストはなく、終始抽象的に議論を披露している。「洗濯機やエアコン」「バターとジャム」などという例示がないわけではない。しかしそれは、そこからこういうことに気づく、というふうに、たちまち抽象的な概念をもたらすために、ちらりと見せられた材料に過ぎない。とてもじゃないが、これくらいの物体の名を持ちだしたくらいでは、本筋の議論には届かないのである。
だからかもしれないが、著者は、同じ「あとがき」に於いて、「哲学の研究者や大学院生、形而上学関連の本を読んだことのある一般読者など」にも読んで得るところがあるだろう、と言っている。私の見立てでは、最後まで読む読者層は、そのレベルではないかと思う。イラストも、卑近な喩えもない、概念把握と論理的区分などを主軸とした本書の著述は、哲学を志す学生くらいの気概がなければ、読み通せないように感じるのだ。
その「あとがき」の前に、「さらに学びたい人のための文献案内」のリストとコメントがあるが、これも半端ない。日本語で読めるものしか挙げられていないが、もちろん私もごく一部しか知らない野ではあるが、そこにある本が如何に高度なものを綴っているか、くらいは分かる。「入門」などという表現は、安易な道ではないのだ。その門を一度潜ってしまうのだから、相当な覚悟と決意がなければ門に入ることはできない、というくらいの代物なのである。
下手をすると、「序章 形而上学とは何か」で、へたれそうである。始まって間もなく、「カテゴリー」という語が登場するが、その語については何の説明もない。「専門用語」とは言えないかもしれないが、哲学の世界で「カテゴリー」というと、アリストテレスやカントの使い方を踏まえた上でのものであるとは言えないだろうか。
ただ、その辺りで、「還元的モデル」と「非還元的モデル」とが早速紹介される。「早速」というのは、実はこの捉え方が、本書の全体を貫く軸のひとつであるから、ひとつきちんと押さえて於けば、この後も比較的読みやすくなる。著者は、この区分を用いながら、以下の項目への解説の旅に読者を誘う。
分厚くもなり、割愛した章があるそうだが、本書に遺った章だけを挙げておこう。「性質と類似性」「因果」「部分と全体」「「もの」と「こと」」「時間と様相」「人の同一性」そして「自由」である。哲学者名もだいぶ出てくるが、それは議論を整理するためのものだと言え、対立する考えの違いを際立たせたり、時にはその根源がつながるものであることを示したりする。自由についてのときなども、決定論がまかり通るとどうなるか、あるいはまた、その決定論でも、細かな差異があって、それぞれにだいぶ違うところがあることなどが、丁寧に整理されている。
そう、こうした分類と整理という点に於いては、本書は実に親切であり、丁寧なのだ。いったい哲学の世界で、何がどのように議論されているのか、ということは、その世界に没入していると、逆に分からなくなることがある。糸が絡まってしまうのだ。そこへ行くと、本書は絡まらないように、鮮やかに交通整理を果たしているように思えてならない。その叙述が、たいへん分かりやすいのだ。その意味では、確かに形而上学について、引き出しの中を区分けして整理をし、そこに入れる文房具が互いに使いやすいように関係づけて置かれる、というような片付けを、うまく果たしたような気がしてならないのである。
その巧さが、さて、いわば「素人」にどこまで届くのか。私の関心はそこにある。だから、逆に言えば、哲学を学ぶ学生にとっては、本書は実に頼りになる海図である。これは読むだけの価値がある。
なお、「哲学史」に於ける形而上学の歴史や哲学者の話を聞きたい、というだけの人は、ご遠慮戴くことになる。ここにあるのは、確かに「形而上学」の議論である。そして、それを聞いて心が燃える人は、確かに「一定の割合で」いるはずなのだ。

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