本

『マタイの神学』

ホンとの本

『マタイの神学』
U.ルツ
原口尚彰
教文館
\3100+
1996.8.

 まず価格に驚きである。大きさはB6、頁はわずかな索引を別にして255頁。発行は1996年で表紙がハードカバーであるわけでもない。これで税抜き3100円なのである。各頁の文字数もそう多くない。「聖書の研究シリーズ」の一冊なのだが、表紙に小さな魚のイラストがあるほか、イラストのイの字もないと言える、地味な本である。2020年の今この価格がついていても、私は買うのを渋るだろう。
 もちろん、中古本としてそれよりはずっと安く買えた。著者が亡くなったことを受けて、読みたくなったのである。注解書にはさらに高価なものがあるが、これはむしろ手頃であるということになる。サブタイトルが「イエス物語としてのマタイ福音書」とある。まさに本書のテーマを掲げてしまった観はあるが、必ずしも素人向けとは言えない内容で、しかし不思議と素人でも読みやすいものとなっている。事実と意見が分かりやすく書き分けられているため、読みやすいのだろうか。
 その要点は見た目に分かりやすくはないけれど、徹底的にマタイの立場、あるいはマタイと呼ばれるこの福音書の書き手が属した教会あるいはグループにとり、救いがどのように神からもたらされたと証言することになったのか、そこに寄り添って綴られていることを指摘し続けることになる。それは旧約をきっちりと踏まえている。イエスはモーセの出エジプトの跡を辿る導きをしてくれたのであり、私たちとずっと共にいてくれること、だからイエスの意義を概念で把握しようとすることを求めるつもりはさらさらなく、自分と共にいてくれる神の実感を物語として紡いでいくことを心がけて生きていこうとするものだというのである。
 マタイの福音書を読むと、神がいまここでどのように自分と共にいてくださるのか、それを知ることができる。それを読者に提供しようとしているのだという。物語というのは過去の出来事の記録ではない。いま私たち読者に、このメッセージを聞く者たちにとって、生きて働く神を信じさせ、約束している預言となるのである。
 それはまた、私たちがひとつのグループ、つまり教会として動いていることをも示している。一人ひとりに、でもよいが、教会全体にこの福音書が告げていることを聞き従い、教会としてイエスに従っていくことを求めていると理解することが望ましい。ということはまた、観念的に教えに肯くというのが目的ではない。教会とそこに属する一人ひとりが、この世で生きていく、生活していくその歩みにおいて、教えは間違いなく実践されていく。神の言葉が現実となるように、教えられたことが実践されて現実となっていくことに焦点を当てて行くのでなければ、教えは無意味となるだろう。それは、受難を経験するような道であるかもしれない。しかしそれがなければ、教えはただの幻想か画餅となってしまうであろう。だからまた、裁きへの警告もまた、教会に厳しく突きつけられてくる。なにも教会だから世のすべてよりも勝っている、などと自慢したいのではないのである。むしろ教会だからこそ、厳しい神の目に睨まれているようなところすらあるのであって、繰り返して強調されるが、実践をどうするかが厳しく問われているものと考えなければならないのだ。
 しばしばユダヤ教的だといわれるマタイ伝ではあるが、確かにパウロのもたらした福音とはある意味で対立するかもしれないけれども、そしてイエス・キリストについての解釈がやはり違うと言えば違うのであろうけれども、パウロという個人の経験に由来するとも見られるパウロ神学に対して、マタイは自分の経験というものを完全に隠しており、教会としての信仰を、教会の神学を呈示しているとも考えられる。そういう教会共同体の中で、新たなイエスの物語を聴き、語り、実現していくことが私たちに求められているのだ、というようにいま現在の私たちをも誘っていることを、私たちは受け止める必要があるはずである。
 マタイの福音書を読むことで、イエスは歴史的にどうであったか、そんなことを議論するのはお門違いであるのだ、そんなことを告げているようにも見える。読者、すなわちいまこの福音書を読んでいる私たちに、もっと語りかけるものを感じなければならない。私たち自身が問われていると知らなければならない。このようなルツの訴えが、果たして歴史的な解釈として適切であるのかどうか、議論はあるかもしれないが、そもそも聖書を読むということの中に、そういう捉え方がなくなったとしたら、まさに塩気をなくした弟子ということになってしまわないだろうか。福音書の中でも、バリエーションの豊かさの点では多岐にわたるマタイ伝である。その一つひとつが、読者に突きつけられてくる機会を多くもっている点は否めない。いい教えですね、の感想では、言葉は命とならないし、ひとを生かすことにはならない。ルツの提言は、マタイのみならば、聖書に向き合う私たちの姿勢に、強く問いかけるものとなっていないだろうか。その意味では私好みの神学解説であったと受け止めている。




Takapan
ホンとの本にもどります たかぱんワイドのトップページにもどります