本

『マルクス・ガブリエルの哲学』

ホンとの本

『マルクス・ガブリエルの哲学』
菅原潤
人文書院
\2500+
2023.8.

 マルクス・ガブリエルのブームは去ったのか。著者はまずここから本書を始める。センセーショナルにデビューしたのは全世界に対してであったが、日本でも脅威の眼差しで迎えられ、派手な宣伝もあり、本もよく売れた。私も読んだ。難しかった。現代哲学思想の世界の動向に疎いので、なんのためにそれをそのように語っているか、分からないのだった。それはいいが、その後、本が話題に上らなくなった。NHKは特別番組も放送したが、反響はそう大きくなかった。
 実は、大きな意義のある著作が、まだ翻訳されていないのだという。著者はそれらを「主著」と呼ぶ。著者自身がよく読みこなし、自身で訳して引用・紹介をしている。そこには特別な訳語を用いている場合もあり、本書ではその辺りも理由などを含めて説明を加えている。
 そうして、それらの本の内容を辿ることになる。著者の観点ではあるが、強調点をしっかり伝えるようにして、淡々と語っていく。本書にはイラストひとつもなく、ただ文字がずっと続く。もしかして、ではあるが、いくらかイラストを交えた解説を試みていたら、もう少しとっつきやすい本になっていたのではないだろうか。専門家にはこのままでよいとしても、もう少し一般の人の気を引き、ガブリエルの哲学をまたひとつの潮流とするようになれば、著者の需要も増すと思うのだ。そんな商売気のためでなくてもよい。ちょっとしたまとめや図式が欲しかった、という要望をここに言っておきたいと思う。
 まずは著者が言う重要な3冊のあらまし。実はこれが本書の大部分をつくる。最後に、現代思想との関係が、ハーバーマスとデリダの名前を出して取り扱われる。  ガブリエルとくればね新実在主義の先鋭として、ちょっとした英雄のように扱われるが、社会哲学への視線については時に疑問視されていたという。が、著者から見れば、そんなことはない、というのだ。確かに、ドイツにおいて哲学を営むとなると、カントという壁が、誠実な哲学者にとってはどうしても立ちはだかる。ガブリエルもまた、カントを強く意識している。私はそれでよいと思う。もちろん時代が異なる。情況が違う。カントの論じていることをそのままに再現しても、なんの意味があるのか、ということにもなるだろう。だが、それはドイツ観念論にしっかりと受け継がれ、問題意識がもたれ続けた。もちろん、その後の科学を、あるいは道徳を意識した形で、新カント主義が華やかだった時期もある。日本に西洋哲学が輸入された時期には、それが非常に大きな意味をもっていた。それが、科学哲学が科学時代と互いに支え合うようにしてもてはやされるような時代となり、その後フランス哲学がハシゴを外すかのように、人間のあり方を徹底的に築き直そうとしてゆく。
 果たしていまは、何なのだろう。一世を風靡するような哲学思想があるようには見えない。そもそも哲学というものが、どのように意義づけられているのか、不明である。あるいは、それは日本においてそうだ、ということなのかもしれない。日本では、元来の哲学的思考が市民の考え方を基礎づけることができなかった。それは、基礎づけ以前に、教育において、哲学が全くなされていないということによるのだ、と私は憤りと共に考えている。
 著者もまた、問うている。それが、本書の副題に感じられる。「ポスト現代思想の射程」がそれである。マルクス・ガブリエルを称えるのではない。だが、よく知らないままで妙に批判する真似をするのもよくない。どうしてガブリエルが読まれたのか、あるいは決定的に読まれていないのか。それを読者に問う中で、さて現在私たちはどこにいて、どこに向かおうとするのか、それを自らにも問うているのではないかというふうに感じた。ガブリエル自身は、ポストモダンには当たらない。著者がそれについては念を押している。だが、ポストモダン以前であるだろうというそのマルクス・ガブリエルの哲学を踏まえずして、その先はやはり読めない、と考えているのであろう。それは、いまの世界の現状、そして日本の状態を、非常に危ぶんでいるからである。ガブリエルの邦訳が少ない中で、本書の果たす役割は、きっと大きいだろうと思われる。




Takapan
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