本

『明治期長崎のキリスト教』

ホンとの本

『明治期長崎のキリスト教』
坂井信生
長崎新聞新書
\999
2013.5.

 すでに初版が2005年に出ていた。この度、第二版ということで新たに紹介されていた。失礼ながら長崎からこんな良いシリーズの新書があるとは知らなかった。
 長崎は、キリスト教にとり、特別な地域である。いわゆる鎖国とされる時代の中での海外への窓口であったことや、その前にそもそもキリシタン文化と信仰とに満ちていた地域であったこと、そして九十九島と呼ばれるその多くの島々に、地域の人々の力で教会が建てられていったことなど、他の地域に見られない色濃さというものがある。
 二十六聖人から島原の一揆へと歴史は向かう。いまなお人骨が眠るその土地。島原の人員は一新された。キリシタンへの雲仙での拷問は、想像するだけでおぞましい。いや、こういうことがあまり知られていないであろうこともまた、悔しい。
 やがて幕府は力をなくす。隠れキリシタンが見つかり、またそれが迫害されたという歴史もあるし、その後明治を経るにつれ、キリスト教の中心はむしろ熊本に移っていくとはいえ、初期のキリスト教受け容れのための重要な拠点となり、そのあげく、原子爆弾が投下された。永井博士は、これを小羊の犠牲にたとえ、論議を呼んだ。
 やはり長崎は、特別な場所である。
 宗教社会学専門の著者がまとめた論文を、一冊の本の形で世に提供した。論文は、いくら情熱を傾けて記しても、その道の専門家がふうんと読む程度のものである。もっと人々に知られなければならないとするならば、このような形で出版すべきであると著者は考えた。もちろん、論文の内容を変える必要はない。必要なのは、誌面の都合上、いらぬ引用箇所の細やかな提示くらいである。
 そういうわけで、学問的に裏打ちされた長崎の歴史が、ここに刻まれている。明治期に絞られているが、十分に味わいがあり、読ませるものがある。それも、特徴的なのは、通常長崎のキリスト教というと、どうしてもカトリックに傾きがちであり、あるいはキリシタンであるものだが、それを、本の後半で、プロテスタントに集中した活動の記録が紹介されているという点である。これがこの論文並びに新書の価値を上げているものと思われる。プロテスタントの宣教は、長崎においては遅れた。カトリックの地盤が強かったのだ。それは、キリシタンが現れてプロテスタントの教会に来たことがあったが、牧師に妻がいると分かった時点で、これは自分たちの信仰と違う、と言ってもう来なくなった、という逸話に象徴的に表れているといえる。クリスチャンがいる、という期待で長崎の地を踏んだ宣教師たちは、孤独に置かれるのである。
 貴重な写真や図面も多く掲載されている。理解を助け、また当時の状況を垣間見るような思いにさせる。また、論文が元であるため、内容的に正確な史料に基づいている点で信頼度が高くなる。いや、それは裏返せば、記述そのものが決して面白いものではない、ということにもなる。読者サービスなどない。面白く楽しく読ませるというために書かれてものではないからだ。だが、そういう論文を書くための苦労は私も少しは分かる。とにかく嘘を書いてはいけない。不正確なことを、事実のように断定してはならない。根拠がなければいけないし、根拠の信頼性に合わせた表現の手法を取らなければならない。一行を書くために、足を棒にして史料を探し歩かなければならない場合もある。何人もの人を訪ねてようやく一行の事実が書ける、ということがある。「私は思う」「推測される」とはなかなか書けない。そう書かなければいけない場合は、悔しいものである。ついに史料に出会うことができなかった場合だからである。
 しかし、だからこそ、繰り返すが、信用の置ける内容となっている。なるほどそういう事実があったのか、この人物達の関係がそうだったのか、と読者が気づき、読者の知っていた事柄の背景が埋まっていくようであるならば、著者はたいそううれしいものであろう。その意味でも、この本は目的を達していると言える。事実の羅列のようではあるが、読者を育んでくれるのである。
 もちろん、当時のやり方が今なお同じように通用するとは思えない。明治期、プロテスタントは、学校教育を運営することで、キリスト教を浸透させていこうと考えた。そもそも聖書知識の背景がなかった中に、そのようにして伝道することを試みた。今は違う。ただ、今でも偏見や思い込み、さらにいえば完全な勘違いも少なくない。歴史の中で真に起こっていたこと、日本人の反応などが、今の時代ならばどうなってくるか、そういうことを考える時のヒントにはなりうると私は考える。そういうわけで、温故知新というわけではないが、今キリスト教を伝えようと考えるクリスチャンたちは、こうした歴史を知り、またそこから新たな方法や素材を見出そうと努めてもよいのではなかろうか。
 もっと読まれたい、小さいけれども有用な本である。




Takapan
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