本

『MIT 音楽の授業』

ホンとの本

『MIT 音楽の授業』
菅野恵理子
あさ出版
\1800+
2020.9.

 マサチューセッツ工科大学における、音楽の授業についてのレポートである。工学の場においてどうして音楽が重視されるのか。そう、それはたんなる教養科目のひとつとして飾られているのではなく、相当に本格的に扱われ、多岐にわたり深い授業が展開されているのだ。
 音楽のあり方、その教育的効果と文明との関わりなど、大きな視野で音楽について調べて執筆している著者が、的をいまMITに絞って、その全貌を見せてくれる。  それは、音楽を学ばなければ工学の学びもない、と言いたいほどの勢いであるのだ。
 本書の主張については、本書を辿って知るようにするのがよいと思う。ただ、音楽を知ることは自分や他人を、そして世界を知ることにつながら、未来を創造することになるのだ、という非常に大きな訴えをしていくので、もしかして音楽が嫌いな方や、そこに価値を認めないような人だったら、読まないほうが賢明であろうかと思う。それほどの音楽賛歌の本なのである。
 扱っていることは、まずMIT音楽学科の歴史である。リベラルアーツの理念に基づくものでもあったが、実はこの辺り、そもそも「大学」とは何かという理解が背後にあるとよく分かるであろうと思われる。私はたまたま、息子の関心に関係して、大学の歴史について一通りの知識を学んだばかりだったので、本書とうまくリンクしていたと喜んでいる。ただ、本書はあくまでも音楽についてだ。
 人文学や芸術科目は、工科大学の多くの学生が履修しているという。その学生の生活の様子までも詳しく調査し、知らせてくれる。それから、各授業について同行しながらレポートをしてくれる。西洋音楽史から、世界の音楽、オペラときて、それがどのように行われているのかということと、担当教授の声もしっかり載せている。ザ・ビートルズの講座もある。また、本書の特徴は、実際に扱われていた曲を、ただつらつら示すだけでなく、そのリストを章末につくっていることだ。そして著者のウェブサイト・noteに、これらの曲がどんなものであるかを知ることができるように、一曲30秒と短いが、アクセスすれば聴けるようにしているのはうれしい。
 こうした授業では、単位をとるために何をどのくらいの割合で評価されているのか、そこまでレポートしている。
 音楽の理論的な分野も学べる。ハーモニーや対位法の講座もあれば、調性音楽や、新しい世代の音楽の作曲をする講座もあるというから面白い。ラップトップさえ授業になっているのだから、音楽と呼べるものに妙な垣根をつくらないのがいい。しかしテクノロジーを用いて音楽へと向かうのは、工科大学としては当然のことかもしれず、コンピュータを駆使することは何も不思議なことではない。
 本は後半から巻末に移るにつれ、たんなるレポートを離れ、著者の音楽観を語るようになってくる。つまり、未来に向けての眼差しであり、この音楽というものが、未来をつくることにどのように関わるのか、持論を展開するのである。自分を知ることや、多様性を受け容れることなどが語られ、未知なる未来に進むための可能性へと開かれていくとするのである。それはついに最終章で、「いま・ここ」というところから、未来を見つめるために、創造する営みへと結びつける、自身の思いが滔々と述べられる。もちろんMITのことも踏まえてはいるが、すでにMITそのもののレポートではなくなっている。最後には音楽は愛だというところにまでくるから、楽しいし、微笑ましい。語られるその「愛」の定義はないのだから、自由に語っていることになるが、要するに「音楽」は素晴らしいし、未来をつくるために貢献するというふうになるのだろうと思われる。
 学べるということは、確かに素晴らしい。それが技術的にずいぶんと容易になったこの時代、羨ましくも思う。このように開かれた大学の運営があるという文化背景も羨ましい。日本の大学は、歴史も伝統も異なる。考え方も全く違う。それはいま大きく変わろうとしているとも言われる。よくない方向に変わらなければよいが、と案じている。どうにも、よくない方を向いているからだ。その意味では、本書の楽観的な理想というものも、実のところ役に立つのかもしれない。大学を見つめる機会となるのならば。




Takapan
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