本

『メリー・クリスマス・トゥ・ユー!』

ホンとの本

『メリー・クリスマス・トゥ・ユー!』
岸本大樹・大島重徳・大田裕作・錦織寛・菊池実・神山美由記・安藤理恵子
いのちのことば社
\500+
2022.11.

 新書より一回り大きなサイズで、100頁を幾らか超える暑さ。ハンドブックとしては程よい量である。
 明らかに、信仰への誘いである。大阪聖書学院長の挨拶で、「この本を手に取ったあなたにも、イエス・キリストによる喜びを知ってほしい」と、ストレートに告げている。伝道用として用いやすいサイズと分量であろうと考える。
 メンバーは、偏らないいろいろな教会や肩書きから集まっている。そのバックヤードについては、本書からは明かされないが、新改訳聖書を用いる教会に呼びかけて集まった、というところではないかと推測する。
 実は、本書が好評だったらしく、その後毎年秋に、同じ題でナンバーを振ったものを続けて出しており、私が本書を手に取った秋には、すでに第4弾が発行されている。特定の人に贈ることを考えて入手したので、良い反応であったら、続刊をまた買おうかと考えている。
 7人のクリスマスのメッセージは、分量が定められているのは分かるが、恐らくどの場面から語るかということは、編集者や旗振りの人物から指名されたのではないかと思われる。きれいにクリスマスの出来事やメッセージ性が分担されているからだ。
 まずは、マリアへのいわゆる受胎告知。それからイエスの誕生、さらに羊飼いたち。ここで預言者アンナを立ててきたのは、もしかすると筆者の申し出からかもしれない。というのは、一連のクリスマス物語でアンナは、シメオンとのセットで登場する以上の活躍の場は普通はないからだ。だがそのメッセージでは、専らアンナに光が当たっている。これは珍しいことだと思う。
 続いて、3人の博士。これで、いわゆるクリスマス・ストーリーは終える。
 次には、すべての人を照らすまことの光、というヨハネ伝の冒頭近くの箇所が挙げられる。そこでは、クワイ河収容所のエピソードを取り入れながら、いわゆる「招き」の要素が強く打ち出されているように見えた。苦悩の中で希望が与えられることを軸に、自分が生きていてよいのだろうかという人との交わりについてなど、かなり突っ込んだ語りとなっている。
 そして最後には、重荷を負う者にここに来るようにと言葉をかけるイエスを登場させる。これはもはやクリスマスそのものではない。完全に「招き」である。
 これは私見だが、少し焦ってしまったのではないか、と感じた。クリスマスの出来事だけで、苦悩から救うイエスというところを見せて「招き」というのは、無理がなかったか、ということである。十字架と復活が皆無と言える中で、イエスに従え、という旗のところまでは、まだ結びつき難いのではないだろうか。まずは神が人となつて来たことへの驚きに包まれている中でこそ、クリスマスのメッセージの意義があるのであって、そこからあなたは救われます、というゴールに直ちに辿り着くように引っ張るのは、大切なチェックポイントなしでゴールさせるようなことになりはしないか、という意見である。
 クリスマスからイースターまでは、時期的には季節ひとつである。クリスマスの時期にイエスが現れた意義に気がつき、イースターに次の一冊を提供して、救いそのものが何であったのかについてメッセージし、そのときにクリスマスの出来事がその備えであったことや、神の計画の高さ広さが如何ばかりかということが、自分のこととして胸を突き、魂の変化を受けることを期待するのが、筋道ではなかったか、と思うのである。
 もちろん、ひとの救いは神の業である。聖霊の力は、何がどう及ぶか知れない。救いは主にあるのだから、人の方策や感覚でとやかく言うべきものではあるまい。
 そのような中で、語る者自身のエピソードとして、強く心に残ったものについては、備忘録のように、ここに置いてもよいだろうか。私はこのメッセージを、忘れたくないのである。
 それは、ある人を赦せないという事態に陥った若い自分を回想する話てある。そのときの牧師が、今イエスが君に何を言っていると思うか、と尋ねた。赦せ、と言っているのだと思う、と自分は答えた。だが牧師は、それは違う、と再考を促したという。イエス・キリストの気持ちがどうして分かるのか、と傍から見れば案じてしまうものだが、これはひとつのレトリックでもある。しかし確かに、若者だった当人にとっては、その葛藤が、大切な霊的成長の機会となった。赦すことができない自分のことをイエスは赦し、愛しているのだ、ということに気づかされたのだ。
 サブタイトルにある「あなたに伝えたいこと」は、必ずしもムードに酔うようなものではない。クリスマス物語について、かなり突っ込んだ形で説いている。言葉は平易だと思うし、聖書を知らない人にも聞き取りやすい内容となっていると思う。それでも、説明となるとかなり専門的な部分もあり、信徒が目にしても「そうなのか」と教えられるような、詳しい解説になっていることもある。学術的あるいは神学的なものの叙述が目的ではないから、本当にこれは「救い」のための温かなメッセージである。ひとの「証し」のようなものも幾つも含まれている。続刊はまだ見ていないが、気づいたことを改訂しながら、メッセージを深め、また高めてゆく努力があってこその続刊であるだろう。期待してお目にかかりたい。




Takapan
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