本

『ルーヴルはやまわり』

ホンとの本

『ルーヴルはやまわり』
有地京子
中央公論新社
\1260
2011.11.

 フランスのルーヴル美術館を実際に見て回るというのはどういうことか、それをシミュレーションするような本。どの階段を云々というあたり、非常にマニアックに聞こえるが、まさにこの本で美術館を追体験しようというものである。これはユニークな視点だ。ともすれば、美術作品を並べて紹介し解説する、というのが当然だと私などは思いこんでいた。だが、実際に美術館ごと愛している人は、その美術館でまずこれを見て、次にこれを見ることになり、コースによってはこちらを先に見たほうがよいだろう、など考えることだろう。また、同じ間に並んでいる絵は、否応なくほぼ同時に鑑賞することになるわけで、そうやってもつ印象はどうか、とか、それは何故くっついて並べられているのか訳があることとか、言われてみればなるほどと思いつつも、言われなければ気にしないような自分がいるということを見通されたようで、愕然としている。
 たとえば京都を旅行に行く。京都を知ろう、ということで、修学旅行の中学生は、清水寺・金閣(寺)・銀閣(寺)などと挙げてみるだろう。だが、この順序で訪ねるのはあまり得策ではない。実際には清水寺と銀閣は比較的近距離にあり、金閣だけがかなり離れている。その過程をも味わうのが旅の良さというものであろう気がする。目的地だけをぽつんぽつんと挙げれば旅が完成する、などとはおそらく誰も考えないことなのだ。
 だのに、美術作品は、あまりにもそのぽつんぽつんというやり方が蔓延しており、実際に美術館で見学しながら歩いていくという実感を、美術全集も何もかも、あまりにも無くしてしまっているのではなかっただろうか。
 本のサブタイトルは「2時間で満喫できるルーヴルの名画」である。もちろんすべての作品を2時間で巡り味わうことができるような美術館ではない。だが、その中から個々を外さないで歩いて頂きたいという、ファンならではのお勧めスポットでもあり、そのためにこの通路をまず行けばよい、といった道案内の記録がここに作られているというわけだ。つまりは実際にそこに行くときのガイドであるが、では実際にフランスに旅行をしない人には無縁なことなのかというと、そうではない。さきほどの旅との比較がそうであろうが、紀行文の味わいは、読者が筆者の行動や見たもの聞いたものを体験的に味わうことができるというところにある。車窓からの風景がまた旅の味わいになるごとく、ルーヴル美術館をこのままに歩いて見ているリアリティが、読者に覚えられるという点では、どんな美術解説書にも適わないだろう。
 それでいて、ただの鑑賞ではない。この本は、悲しいくらいに絵そのものは粗末に扱っており、白黒写真で小さく必要最小限程度に載せられているに過ぎない。すべては、解説のちょっとした文章をスムーズに読むためだけにある程度なのである。その絵の背景が、もちろん画家の特色やエピソードもふんだんに盛り込まれているし、何よりその時代背景を、限られた文字数の中で、実に分かりやすく適切に紹介してくれていることであるか、に私は感動を覚える。絵はすばらしく宗教的なのに実生活ではだらしない人間だったとか、頑固だったとか、わくわく楽しく読める内容が目白押しである。もちろん、絵の鑑賞のポイントを十二分に盛り込んであるので、この本を実際にルーヴルに持っていって、その絵のところで開いたら、こよなく親切で驚くことをももたらすような、良きガイドにもなっている。おそらくそのために、小型の新書程度のサイズに作ってあるのではないかと私は思う。
 さらにご丁寧なことに、ルートマップまで附属している。つまり美術館内の地図であり、この本に紹介したルートを視覚的に一覧しようという代物である。また、このルートでは見ることを諦める必要のある作品についても短くだから的確な情報を知らせてある。なかなか細かい。
 名画の鑑賞の仕方などというと、私はさっぱり分からないタイプである。しかし、この本をつらつらと眺めているだけで、どこをどのように見たら面白いのか、かのような絵は何を意味しているかなど、たくさんの教養が与えられたような気がする。毎年フランスに行くという著者ならではの、だがこれほど簡潔に多くの情報をもたらしてくれる著者ならではの、ひとつの作品となっているような、本である。
 聖書を題材にした名画についての解説も、なかなかいい。読者の多くが、美術が好きになりそうな一冊である。




Takapan
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