本

『主イエスの生涯 下』

ホンとの本

『主イエスの生涯 下』
加藤常昭
教文館
\2000+
1999.12.

 すでに「上」を読んでいたが、「下」がなかなか手に入らなかった。高価だったのである。「ほしいものリスト」に入れておき、時折チェックしていると、古書はそのうち安くなることがある。その機会を待って、数年後にこの度ようやく手に入れた。
 福音書の流れに沿うような形で、イエスの生涯を辿り、そこからメッセージを紡ぎ出す。FEBC(キリスト教放送局)で1979年度に一年間をかけて語られた内容に手を加え、書物にしたことが記されている。その間、新共同訳が出版されたことから、引用聖書を変更したというから、案外これは手間のかかる作業だったに違いない。
 加藤常昭氏は、「これこそあなたの主です」と紹介したい思いでまとめたというが、この姿勢が私の心に響いていたのだろう。私も心から納得しながら、耳を傾けて本書と共に旅をした。後半であるから、当然十字架そして復活へと導かれる。辛い旅ではある。私もまたその弟子のひとりとなり、エルサレムへ向かうことになる。
 やはり、加藤氏の魅力は、この呼びかけにより聖書の物語の中に連れて行ってもらえるということだろう。臨場感というか、その場に居合わせる思いをこれほど懐くことのできる説教ないしメッセージというものは、そんなにありはしない。いや、説教たるもの、すべてがそのようであってほしいものなのだが、なかなかそうはいかないということだ。  今回初めのほうで「イエスを殺そうとした人びと」「イエスを誘拐しようとした人びと」「主イエスを捨てた人びと」と題が並んでいるところがある。これなどはまさに、聴く者を、まさにその当事者にしてしまう。自分はクリスチャンだから、イエスを殺そうとしてなどいない、捨てたのは弟子じゃないか、などという気持ちでしかいられない人がいたとしたら、それはもう聖書を読んだことにならない者であって、イエスと出会った経験のない、いつまでも他人事気分で聖書を眺めているだけの、自称クリスチャンだと呼ぶしかないものだろう。敢えて厳しく言うが、やはりそこはそうなのである。
 それからイエスは一行の先頭に立ち、エルサレムに入城するのであるが、福音書の一人ひとつのエピソードを掲げ、その情景を描き、そこに自分もいたのだという証言ができるほどまでに、場を描き、読者を、聴く者を置く。
 ヨハネによる福音書にしかない場面であるためにそれを交える場合もあるが、概ねマタイによる福音書を基盤として流していく。福音書をあちこち切り貼りすると、尤もらしいイエスの伝記ができるかもしれないが、一筋の流れが断ち切られ、寄せ集めた雑誌のようにもなりかねない。そのため、筋道を際立たせたのも、ひとつの考えであると共に、このシリーズの成功につながっているのではないかと思う。
 そして最後から二つ目の時に呼びかける。「イエスのご生涯は、そういうふうに今私どもを生かすいのちとして続けられているものであり、世の終わりまで続けられるものであると私は確信しております」と。最後には、加藤氏らしく教会というものに結びつけ、「教会はお甦りになった主イエスにお会いすることができる場所だと私は堅く信じています。皆さんにも、主イエスは現れてくださいます。そのために祈っています」と結んでいる。まことに背筋の伸びる、正統的な説き明かしであり、呼びかけであった。このスピリットは、あらゆるメッセージの中に貫かれているものでありたい。私たちの、誰しもにとって。




Takapan
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